(46)小田原で二宮金次郎について学ぶ



定年を機に小田原へ移り住んで三年半。幸い健康に恵まれて、今夏もあちこちへ出かけた。しかし、その疲れがたまっていたせいか、久しぶりに痛風を発症して歩き辛いため、六日(日)は出張を止め休んでいた。

すると、近所に住む婿殿(小学校教諭)から「今日午後、市の生涯学習センターで開催される“二宮金次郎生誕地講演会”に行かれませんか」との電話があった。その途端、足の痛みが軽くなったので、彼の車に乗せてもらい行って来た。三時間半に及ぶ三講師の御話は大変充実しており、多くの学びを得ることができた。そのごく一端を略記しておこう。

実体験から形成された「報徳」思想
まず大藤修氏(東北大学名誉教授)による「二宮金次郎の思想と仕法」では、㋐金次郎(一七八七~一八五六)の生きた時代が、全地球的に小氷期で災害・飢饉が頻発し、幕藩体制の解体期で貧富の格差が拡大していた。

その中で農家の分家に生まれ早く父母と死別した金次郎が、捨てられた苗を拾って植え育て収穫を得た体験から「小を積んで大を為す」真理を体得した。㋒やがて自家を再興し総本家の再興にも心血を注いだのは、先祖・父母に対する孝(感謝報恩)の実践と考えていた。

しかも㋓数え二十六歳で小田原藩家老の服部家に仕えて、その子息に「民を救ひ国を安んずる」ことが為政者の道と説き、奉公人らと「五常講」(仁・義・礼・知・信の心で互助共済する仲間)を作った。

ついで㋔小田原藩主の大久保忠真から士分に取り立てられ(四十歳)、下野国桜町領の復興を命じられて画期的な「仕法」(改善計画)の実践に取り組んだ。㋕それが領民や役人の反発にあうと、成田山新勝寺へ参籠して断食祈祷の末、みんなの協力をえて「報徳金融」(無利子で貸与し完済できた者に冥加金を出させて次に廻す循環融資)などにより成功した。

これらの実体験を通して、㋖天地万物には各々固有の価値=「徳」が備わっているから、自他の才能=「徳」を引き出して社会万民のために役立てるのが「報徳の道」である。㋗その報徳とは、「至誠」に基づいて「勤労」に努め「分度」を心得て倹約し、余剰を生じたら子孫や他者のために「推譲」すること(勤・倹・譲)である。

㋘この報徳思想(仕法)は、幕末の領主側と対立を生じ、明治以降も為政者の責務でなく青少年に奉公を求める教材に多使された、ことなどを指摘された。

輪廻循環「一円相」による尊徳仕法
ついで二宮康祐氏(二宮総本家当主)による「二宮金次郎と“一円相”」では、㋙金次郎の研究を本人が書き残した史料(1「日記」十九歳から没年の七十歳近くまで五十年分現存。2「書簡」金次郎から諸藩士・仕法関係者あての三六一〇通余り現存。3「仕法書」東北・関東・甲信越地方などに「積小為大」「日掛け縄索」などを勧めた文献。4「著作」五十歳前後に著した『三才報徳金毛録』『大円鏡』『百種輪廻鏡』『万物発言集』『天命七元図』など。5「道歌」俳句を好み仏教・心学に親しんで詠んだ平易な教訓歌)を丹念に読み解くことが何より重要だと強調された。

その上で㋚「一円」とは、天地・昼夜・男女・自他など、片方のみなら「半円」にすぎず両方和合してこそ「一円」となるとの円満思想である。㋛それは天保元年(一八三〇)四十四歳で「一円に御法(みのり)御法(みのり)(実り)正しき月夜かな」「仁心に民の心の月夜かな」と日記に初見する(一円=仁心)。㋜それが仏教(「般若経」「法華経」や夢窓疎石『谷響集』など)に学んで「空」「輪廻」の認識として深化する。㋝それは円の形でa「混沌」からb「開闢」を経てc「輪廻」への相(一円相)として図示することができる。

このうち、まずa「混沌」は、中空の円のみで示され、天地も万物も未分の自然な天道の相である。ついでb「開闢」は、円の中心線上に主体的な我(心・体)を置き、人道が開けて人倫の生ずる相である。さらにc「輪廻」は、円の中に十二分線が引かれ、自然界も人道界も両極の繋がる循環の相を表すという。

それゆえ、㋞善と悪、富と貧、学と教、売と買などの両極も、一円でつながっていることが判れば、我が心(意気ごみ)と体(表情など)の在り方で、いかようにも良くすることができる。㋟その輪廻循環を農村改革に応用したのが「尊徳仕法」であり、人心開発に活用したのが「報徳教育」である、ことなどを指摘された。

有限の人間が永遠の自然の中で世代を継承
さらに桐原健真氏(金城学院大学准教授)による「金次郎の自然観と現代」では、㋠自然と人間の関係を、長らく西洋では対立的にとらえ、東洋では親和的なもの、とみる知識人が多かった。しかし、㋡自然の脅威と恩恵を体験的に熟知する金次郎は、自然に挑戦しながら人間の限界を自覚し、非常時の備えを常に工夫していた。

しかも、㋢金次郎によれば、わが身は天からの借り物として生まれ育ち、やがて命を天に返す(還る)有限の存在であるが、そういう有限の人間に永遠性を与えられるものが自然(天道)である。それゆえ、㋣自然界も人間界も、過去世と現在世と未来世が繋がり続くものと考え、万物に畏敬の念をもって世代を継承しようとする金次郎の思想は、震災後の日本人の在り方もに示唆するところが大きい、ことなどを指摘された。

なお、この講演会は、「二宮金次郎一六〇年忌」にちなみ、小田原市在住の有志(二宮家関係者・尊徳翁研究者など)が実行委員会を立ち上げて主催し、小田原市と同教育委員会の共催により、各種団体(モラロジー研究所小田原事務所など)の後援をえて行われた。

そのおかげで五百名以上の参加者があり、市長も教育長も最後まで熱心に聴講されていた。これも地域おこし事業の一環とみられがちであるが、小田原市域の小学校では、早くから「郷土読本」に二宮金次郎をとりあげ、毎年四年生が栢山(かやま)の生家記念館などを訪ねる、地道な努力を続けられてきた。

お城の近くには、二宮報徳神社も尊徳記念館もある。そういう地元で、私も可能な限り学びを深めたいと思う。

(HPかんせいPLAZA 九月九日 所功 記)

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