(30)箱根駅伝を見て思うこと



平成二十七年のお正月、いわゆる戦後七十年という節目に、高齢世代の一人として何をすべきか何ができるか考えながら早く目覚めた。

そこで、元旦未明、国府津駅近くの菅原神社(山角天神社、童歌「通りゃんせ」発祥地)へ家内と初詣で。往復の高台で南西に純白の富士山を仰ぎ、北東の波静かな太平洋上に旭を眺めて、今年はなるべく大らかでありたいと念じた。

次に7時20分から一時間、NHK総合テレビで新春スペシャル「京都御所」を視た。昨春から京都局のK氏より色々相談を受け、秋に紫宸殿の高御座と賢所の神器などについて少し解説をした(産大で収録)が、それらを盛り込んで全体に品良く編集されている。直後に届いた数名の反響も好評で安心した。

二日昼前、昨夜来の小雪が残る国道一号線筋へ出て、娘家族や近所の人々と箱根駅伝の往路(五区)走者を応援。三日朝も復路(六区)走者に声援を送った。両日とも清々しい好天に恵まれ、しかも優勝候補の駒澤大を破った青山学院大だけでなく、関東学生連合の選抜チームに初めて入った麗澤大学の村瀬圭太君(愛知出身)が六区で力走する姿を間近に観て感動した。

ちなみに「駅伝」という言葉は、律令時代の都と各国を結ぶ官道に置かれた中継の駅と駅を馬で乗り継ぐことに由来する。また現代の駅伝競走は、大正6年(1917)東京奠都五十周年記念に京都から東京まで約500㎞を23区に分けて走ったのが最初で、それを「駅伝競走」と名付けたのは神宮皇學館の竹田千代三郎館長である。

今や駅伝は何十種類もあるが、やはり人気が高いのは大学駅伝。とりわけ大正9年以来91回を数える箱根駅伝は、往復217,9㎞を10区に分け、新春早々二日に分けて走るため、参加は関東学連加盟校に限られるが、全日本大学対抗の伊勢路駅伝(十一月文化の日に近い第一日曜日、106,8㎞)や全日本大学選抜の出雲路駅伝(十月体育の日の第二月曜日、44,5㎞)よりもファンが多い。

そのためか、関東の各大学が有力な選手を全国の高校からスカウトして特訓するから、伊勢でも出雲でも関東代表が圧倒的に強く、かつて(昭和六十一年)伊勢路駅伝で日本一となった京都産業大学や後追いの立命館大学なども今や容易に太刀打ちできない。

しかし、産大や麗大で殆ど毎日猛練習に励む学生たちを垣間見ていると、誰も礼儀正しく顔付が凜々しい。何事であれ、目標に向かって苦難にめげず真剣に努力し続ければ、心身ともに鍛錬され生来の能力を最大限発揮できるようになるのであろう。

近年、学生に積極性がないとか根性がないといわれる。私も一応そう思うが、その一因は学生たちを真剣に鍛練しようとする教育者が少なくなっているからではないか。

スポーツの指導者を手本にして、学生たちと飲食を共にしながら信頼関係を深め、本気で叱り励まして可能性を伸ばすような努力を根気強く続ける教育者であってほしいと思う。

(正月三日記)

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