明治以降の移り変わり
日本のソフト・パワーの中核をなす一般国民の教育力は、国際的に見ても極めて高い。ただ、それを可能にする学校の在り方、とくに教科書の作り方や教え方など、常に改善を要する。また、それに国や自治体がどう関わるかも、よく考えてみる必要があろう。
日本の教科書制度は、明治五年(一八七二)の近代的な「学制」施行以来、自由→届出→許可→検定を試行の末、同三十七年(一九〇四)前後から、小学校(六年間)は国定制、中学校(五年間)は検定制、高等学校(三年間)は許可制とされた。
これが敗戦後の被占領下で廃止され、昭和二十四年(一九四九)から、小学校(六年間)も新制の中学校(三年間)も高等学校(三年間)も、すべて検定制となった。その上、同四十四年(一九六九)から小・中の教科書は国費(税金)で買い取り「無償配布」(同区域内同一採択)が原則とされ、今に至っている。
現行制度の概要と問題点
しかし、現行の検定制度には長所も短所もある。その大筋は、①文科省の定める小・中・高用の「学習指導要領」(各教科の目標・内容・取り扱い方を最小限規定したもの)に則って、②民間の教科書会社が各教科の研究者・教育者などに執筆してもらった原稿を編集し、③その白表紙本(筆者も社名も判らない)を、文科省の教科書調査官(専任)が丹念に調査して、④その資料を参考にしながら、教科書検定審議会委員が慎重に適否を判定し、⑤その報告に基づいて文科大臣が合否を決定する(条件付でも、調査官が編集者に改善条件を伝え、それが修正されたら合格)というシステムになっている。
従って、双方の意志が上手にかみあえば、スムーズに運び、より良い教科書を作れるはずである。しかし、営利重視の会社が指導要領の趣旨よりも執筆者の意図や採択側(背後の教員組織)などの意向を汲み、思想・表現の自由を楯に戦えば、多少偏った内容でも検定を通ってしまう。しかも、問題の多い教科書でさえ、採択が決まれば、小・中は全部無償配布(高校も大半国費補助)される。
国定・検定・認定の組み合わせ
では、今後どうしたらよいか。私なりの提案を端的に申せば、小学校は半分国定、中学校は半分検定、高校は半分認定とするような試みを十年ほど行い、その上で三制度の組み合わせを確定することが望ましいと考える。
まず小学校の半分国定とは、教科の内容に大差のない算数や理科などは全国一律の文科省作成本とし、内容の多様な国語や社会などは全国共通の文科省作成本と地域の文学や歴史などを主にした地教委作成本を併用することである。
ついで中学校の半分検定とは、大差のない数学や理科などなら国定でも認定でもよいが、多彩な国語や社会などは学習指導要領の趣旨が的確に盛り込まれているか文科省で厳密に検討し指導できる検定とすることである。
さらに高校の半分認定とは、数学や理科などなら国定でも検定でも問題はないが、見方の分かれがちな国語や地理・歴史・公民などは原則自由に作成して、文科省に届出認定を受ければよいようにすることである。
しかも、国定の文科省作成本は国費(地教委作成本は自治体費)支出で全額無償とするが、検定の民間作成本は半額国費補助で半額有償とし、民間で自由に作成し文科省に届出認定の教科書は全額有償とする。こうすれば、国定本は相当に安くできるから国費の一部を地教委の補助に廻せばよい。また検定本、認定本は少し高くなろうが、自由競争により良いものが多く採択されるように工夫する必要があると思われる。
連載:「日本のソフトパワー」(隔月刊『装道』掲載) / 所 功