皇位継承の儀式には未成年皇族も参列必要



(かんせいPLAZA主筆)  所 功

 

 昨年六月成立の「皇室典範特例法」により、あと一年後(平成三十一年四月三十日)限りで今上陛下が「退位」され、直ちに翌日(五月一日)から皇太子殿下が「即位」される。
 この皇位継承に関して、一般の人々が強い関心を寄せているのは元号の改定(改元)だとみられ、多くのマスコミも改元にスポットを当て始めた。その一端として、私も三十日(月)夜九時からNHKスペシャル(五〇分)および一日(火)夜十時からBS日テレ深層ニュース(一時間)で元号について解説を担当する。
 しかし、同時に注目しなければならないのが、皇位継承に伴う儀式の具体的な在り方である。この件について、私は昨年から複数の紙誌に管見を書き、また官邸の出張ヒアリングでも大筋を述べたが、政府は四月三日の閣議で、基本方針を決定し発表している。
 その大筋は結構だと思われる。ただし、今後の検討に委ねられた「未成年皇族であられる悠仁親王の御出席」については、それを可能とするための「適切な判断」をされる必要があると考え、この機会に理由と意義を略述する。

   「登極令」の原則的な規定

 まず明治四十二年(一九〇九)公布の「登極令」では、「践祚の式」の㋑「剣璽渡御の儀」に「皇太子〔又は皇太孫〕・親王・王供奉す」とし、㋺「践祚後朝見の儀」に「皇太子・親王・王」と共に「皇后出御」「皇太子妃・親王妃・内親王・王妃・女王供奉す」とある。
 また「即位礼及び大嘗祭の式」の㋩「賢所に期日奉告の儀」でも、「即位礼当日」の㋥「賢所大前の儀」㋭「紫宸殿の儀」および㋬「即位礼後一日賢所御神楽の儀」でも、㋣「大嘗祭前一日鎮魂の儀」および大嘗祭当日の㋠「悠紀殿供饌の儀」「主基殿供饌の儀」でも、㋷「即位礼及び大嘗祭後大饗第一日の儀/第二日の儀/夜宴の儀」でも、すべて㋺と同様、男女皇族が供奉することになっている。
 これによれば、㋑のみ男性皇族に限られる。その理由は書かれていないが、「皇室典範」の第一条で「大日本国皇位は、祖宗の皇統にして、男系の男子之を継承す」と男系男子に限定し、第十条で「天皇崩ずるときは、皇嗣即ち践祚し、祖宗の神器を承く」と規定したから、践祚式の「剣璽渡御の儀」は皇位継承資格を有する皇族男子に限ることが当然と考えられたのだとすれば、あらためて検討する必要があると思われる。
 また㋺以下は、皇族の男性も女性も参列することを定めているが、成年か否かは示されていない。従って、当時の通念では「成年」であることが必要であったにせよ、未成年を排除するものではなかったと解する余地が残されている。

   大正代始の具体的な実施例

 では、これが初めて適用された大正天皇の代始諸儀で、どのように実施されたのだろうか。それを、宮内庁編のⓐ『大正天皇実録』(補訂版)(ゆまに書房)およびⓑ『昭和天皇実録』(東京書籍)により確かめてみよう。
 まず㋑「剣璽渡御の儀」は、大正元年(一九一二)七月三十日、宮殿の正殿で行われた。その儀場には、新天皇(33歳)と男性皇族(親王三名・諸王七名)および男性重臣たちだけで、新皇后(29歳)も女性皇族も、また皇太子裕仁親王(十一歳)も出ておられない。
 ついで翌三十一日の㋺「朝見の儀」では、天皇が「皇后と共に出御」され、女性皇族(親王妃二名と諸王妃四名)も女官二名も供奉しているが、未成年皇族は男女とも見あたらない。この点は、昭憲皇太后の諒闇明けの大正四年の四月十九日の㋩も、ほぼ同様である。
 しかし、十一月十日の即位礼当日行われた㋥「賢所大前の儀」と㋭「紫宸殿の儀」には、東宮御学問所二年目(中学二年相当、十四歳)の皇太子裕仁親王御参列可否が問題となった。そのいきさつが『昭和天皇実録』(刊本第二・一六一頁)に次のごとく記されている。
「これより先…登極令付式に皇太子御参列の規定があることから、御参列を求める意見と、明治天皇の思召しによる未成年皇族の公の儀式への不参の慣例により、御参列に及ばずとする意見が分かれていた。宮内省内においては、宮内大臣(波多野敬直)以下、御参列に及ばずとする意見が優勢となる一方、東宮侍従長入江為守・東宮御学問所御用掛杉浦重剛を始め東宮職…関係者の中には、御参列を求める意見が根強かった。
 特に杉浦は、登極令制定時の関係者(伊東巳代治か)などの意見を徴し、あるいは故実を調査した上で、自らの主張を諸方に働きかけていった。そのため公爵山縣有朋・侯爵松方正義・伯爵土方久元らも賛同するところとなり、(大正)天皇は、松方・土方らの言上を受け、皇太子の御参列を聴許された。」
 そこで、皇太子殿下は、十一月九日「京都皇宮」へ参着「御束帯に召し替え…習礼」を行われ、翌十日の午前㋥「春興殿」(賢所)で「玉串をお執りになり御拝礼」、午後㋭「紫宸殿」の「高御座前の…親王の上班にお就きに」なって、儀式終了後「天皇に御拝顔になり…御悦を言上され」ている。また翌十一日には大嘗宮の…廻立殿・悠紀殿・主基殿を御覧に」なったが、翌十二日「還啓の途に就かれ」、十四日夜から翌未明に斎行された㋠「大嘗宮の儀」は、東宮御所の「拝所において京都の方角に向かい御遙拝」をされている。
 なお、十二月二日の青山練兵場における「大礼観兵式」も、四日の横浜港における「特別観艦式」も、「天皇の御親閲を御覧」になっておられる。
 すなわち、「登極令」付式の規定と「明治天皇の思召し」があるにも拘らず、未成年の皇太子裕仁親王は、将来に備えて即位礼の参列と大嘗宮の見学および観兵式・観艦式への供奉もなされたのである。このような御体験が、十年余り後の昭和大礼を自ら行われる際、どれほど御役に立ったかは、申すまでもないであろう。
 そうであれば、来年九月六日に満十三歳の悠仁親王も、次の次に備えて、㋑などの諸儀に(今回は㋑の前日に「退位の礼正殿の儀」も)参列されることは、必要であり極めて有意義だと考えられる。

   「剣璽等承継の儀」に女性皇族の参列も

 来年の相次ぐ皇位継承の儀式には、上述のような観点から、幸い未成年(中学一年)の悠仁親王が参列できることになったとしても、儀場における皇族は決して多くない。
 とくに㋑「剣璽等承継の儀」は、「平成の前例を踏襲し、参列される皇族は男性皇族のみになる」と、四月三日の閣議後に菅官房長官が記者会見で話している。もしその通りとなるならば、この五月一日から上皇陛下(85歳)は表に出られないため、宮殿の正殿(松の間)で新天皇陛下(59歳)の脇に立たれるのは、「皇嗣」となられる秋篠宮殿下(53歳)と皇叔父の常陸宮殿下(83歳)および未成年の悠仁親王(13歳)御三方のみである。それに対して、国民を代表する三権などの要人は、女性の大臣も議員も裁判官なども参列する(排除しない)見通しだといわれている。
 そこで、「平成の前例」で参列皇族を「男性皇族のみ」とされた理由を考えると、前述のとおり「登極令」の付式にこだわって、皇位継承資格を有する「男系の男子」に限定してしまったものと推測される。しかし、これは十分な理由づけにならないであろう。
 何となれば、現行の日本国憲法が第五条で「皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ」とし、また、皇室典範の第十五条で「摂政は、左の順序により、成年に達した皇族が、それに就任する」として、「一 皇太子又は皇太孫/二 親王及び王/三 皇后/四 皇太后/五 太皇太后/六 内親王及び女王」をあげている。
 すなわち、皇室典範の第一条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」ことを大原則として定める現行制度のもとで、第十六条に「天皇が、精神もしくは身体の重患、又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」場合、皇族男子(一・二)だけでなく、皇室の外から入られる后妃(三・四・五)も、皇室で生まれ育たれる女子(六)も、「天皇の名でその国事に関する行為を行ふ」役割を担うことが求められることになっている。
 従って、典範の第一条を堅持する現在でも、新天皇が皇位に即く践祚式の「剣璽等承継の儀」に、万一の場合「摂政」就任もありうる女性皇族(入室の皇族と生来の皇族女子)が参列されることは、本質的に差し支えなく、むしろ必要なことだと思われる。
 その場合、「摂政」就任の時は「成年に達した皇族」でなければならないが、それに備えて未成年の皇族女子である敬宮愛子内親王(17歳)が参列されることも、当然可能にされてよいと考えられる。
 これらは「皇室典範特例法」の国会付帯決議によって、来年五月から始まる「皇位継承」や「女性宮家」の課題論議と直接関係のない、現行法下における皇室の在り方として配慮すべきことにちがいない。日本の皇室は、オンリーワンの天皇陛下を中核として、そのお務めを全ての皇族が男女を問わず必要に応じて分ち担われ、それを私ども一般国民が可能な限り理解し感謝しながら応援する「信頼と敬愛」の上に永続することを念じてやまない。

(平成三十年四月二十九日記)

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