母の手記三通(「わが八十年の歩み」付記)



母の手記三通(「わが八十年の歩み」付記)

所 功

今日(令和五年七月十日)は、母が平成十九年(二〇〇七)に九十一歳目前で永眠した命日であり、仏式の十七回忌にあたる。母のことは、十七日後(母より六十四年前に戦死した父の命日)までに、家族で作った手書きの『母を偲ぶ』に少し書き、また一昨年十二月纏めた『わが八十年の歩み』に随所で注記した。

しかし、母の想い出は余りにも多く、いずれ詳しく綴りたいと考えている。それに備えて集めつつある資料の文箱を、朝拝の後に開けてみたところ、長短さまざまの手記が出てきた。そのうち、三通を原文のまま添付して参考に供する。

まずAは、昭和五十八年(一九八三)七月に記した「私の家庭円満法」である。当時母(六十七歳)は、十七年前から農業の傍ら〝ニッセイのおばさん〟として元気に勤めていた。私(42歳)は岐阜の自宅から京都まで往き来し、妻(47歳)は自宅から岐阜の短大に勤めながら母と娘(10歳)の世話をしていた。

ついでBは、十年後の平成五年(一九九三)七月、地元の新聞の「くらしの作文」に寄せた「あゝ五十年祭」である。この七月二十七日に五十年祭を迎えた父のために、母(77歳)が数軒の親戚を招いて椀飯振舞をした。また、その二年前に骨折して歩行の困難になっていた母を、妻と娘(大学生)が手助けして、靖国神社に昇殿参拝することもできた。

さらにCは、九年後の平成十四年(二〇〇二)十月ころ、日付も題名もない手記のひとつである。母(86歳)は数年前から外出困難となったが、家の中では妻に手を引かれて食堂にもトイレにも行き、昼間はベッドで半身を起こして、好きな本を読み和歌を作り日記を書き、訪ねて下さる近所のおばあさんたちとおしゃべりをするなど、日々を楽しんでいたようにみえる。

母の手紙 Epson-20230710202956

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