宮中と神宮・勅祭社の祭祀担当者たち



宮中と神宮・勅祭社の祭祀担当者たち

京都産業大学名誉教授    所  功

現行憲法のもとでも、天皇の重要な任務の一つは「宮中祭祀」である。それが多くの国民に理解され社会に安定をもたらしている。その上、天皇ご自身と天皇から委任された人々が、伊勢の神宮と主要な神社の祭祀に関わっている。その現状を簡単に整理しておこう。

「宮中祭祀」の主催者と奉仕者

宮内庁の公式ホームページによれば、「宮中祭祀/天皇皇后両陛下は、宮中の祭祀を受け継がれ、常に国民の幸せを祈っておられ、年間約二〇件近くの祭儀が行われています。皇族方も宮中祭祀を大切になさっています」とある。

その祭典は三種に分けられる。まず①「大祭」は「天皇陛下ご自身で祭典を行われ、御告文(祝詞)を奏上され、ついで②「小祭」は「掌典長が祭典を行い、天皇陛下が御拝礼になり」、さらに③「旬祭」は「毎月1日・11日・21日に掌典長が祭典を行い、原則として1日には天皇陛下の御拝礼があります」と説明されている。

すなわち、宮中祭祀の主催者は天皇陛下である。ただ、①大祭には天皇に続き皇后と皇嗣・同妃も殿内で拝礼され、②小祭には天皇のあと皇嗣が殿内で拝礼される(③旬祭は原則1日のみ親拝)。

その祭祀には、宮内庁の内廷職員である掌典(しょうてん、成人男性)と内掌典(未婚女性)などが奉仕する。とくに内掌典は賢所の内陣より奥の内々陣で皇祖神に神饌をお供えする。

神宮の皇族出身「祭主」と天皇聴許の大宮司

皇祖神の天照大神は、宮中の賢所(三殿の中央)と共に伊勢の神宮(内宮の正宮)に祀られている。この神宮は戦後に宗教法人となったが、今も皇室と特別な関係にある。

そのため、「祭主」と「大宮司」は勅旨を奉じ聴許を仰いで定められる。注目すべきことに、祭主は明治八年(一八七五)から男性皇族が勅任されてきたのを、戦後の昭和二十二年(一九四七)四月から皇族出身の既婚女性が務めている。

これは、GHQの圧力により同年十月から直宮(じきみや)以外の伏見系十一宮家の皇籍離脱で男性皇族が激減、その多くが軍籍にあって拒否されることを見越しての対策だったのであろう。

とはいえ、当時も今も皇族出身ならば、既婚女性で何ら差し支えないとみなされている。それどころか、神宮司庁編『神宮・明治百年史』によれば、昭和天皇から北白川宮房子内親王(明治天皇の皇女)に「強(た)っての御依頼があったので、・・・・お受けに」なったのである。

ただ、祭主は常勤でなく、神宮の六月と十二月の月次祭と十月の神嘗祭、二十年ごとの式年遷宮祭などに奉仕される。戦後初代の北白川房子様以後、鷹司和子様、池田厚子様(共に昭和天皇の皇女)、現在は黒田清子様(平成の天皇の皇女)が務めておられる。

一方、神宮の大宮司は、伊勢で祭祀に専念する少宮司以下の上に立つ神職であり、天皇の聴許をえて任命される。戦後十代の拝命者は、元華族か元皇族(現在の久邇朝尊氏は邦昭氏の長男)である。

勅使の遣わされる主要な「勅祭社」

この神宮の主要な祭儀には、天皇が勅使(式年遷宮のみ掌典長、それ以外は掌典)を遣わされる。また神宮以外で例祭に勅使(掌典)を遣わして、祭文と幣帛を奉らしめられる「勅祭社」がある。

それは、関西の橿原神宮(2月11日)、春日大社(3月13日)、平安神宮(4月15日)、近江神宮(4月20日)、出雲大社(5月14日)、賀茂大社(5月15日)、石清水八幡宮(9月15日)、中部の熱田神宮(6月5日)、関東の氷川神社(8月1日)、明治神宮(11月3日)および旧別格官幣の社靖国神社(4月22日と10月18日)の十二社(賀茂は上下両社だが同一祭文)には毎年、さらに六年ごとの香取神宮(4月14日)と鹿島神宮(9月11日)、十年ごとの宇佐神宮と香椎宮(共に祭日不定)を合わせて十六社と定められている。

また、ご公務のため全国へ行幸の際、当地の主要な神社で拝礼されることもあり、また一定以上の神社に幣饌料を賜ることになっている。

このような現行の皇室関連祭祀については、共編著『皇室事典』(令和版、角川書店)に概説した。参考までに、その分(三か所修訂)を添付しておこう。

(令和六年五月三十一日記)

資料 R060531

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)