現行法の定める「摂政」「臨時代行」の役割と限界



                               (主筆)所   功

 明けて平成29年(2017)、穏やかなフク(29)のお正月を迎えた。元旦6時半、国府津の自宅玄関に国旗を掲げ、家内とJRの線路に沿って少し坂を登ると、左手に広がる海の彼方が明るくなり、まもなく大きな「日の出」を拝む。しかも振り向くと、朝日に映える雪化粧の霊峰富士を仰ぐことができた。

7時ごろ、氏神さんでもある菅原神社に初詣で。ふだん閑散としている境内が、着飾った人々で一杯。ようやく社頭に立ち、旧年の神恩に感謝し、新年の決意を誓い、ご加護を祈った。12月12日「後期高齢者」の仲間入りした私には、これから5年間「傘寿」を目指して、やりたいことが山ほどある。とはいえ、大晦日に部屋の片づけなどで無理をしたせいか、まだ腰が痛む。マイペースで進むほかない。

元日報道の「特別法」あれこれ

その帰途、近くに住む娘家族の家へ寄り、孫娘たちに「お年玉」を渡し、また婿から暮の数日、沖縄を車で一周し、神社や戦蹟を巡拝してきた話を聞く。そこで、朝日新聞を見て、少し驚いた。その一面に〝「今上陛下固有の事情」明記へ/退位特別法回避〟とあり、三面で〝退位に至る「ストーリー」/特例法、異例の構成、検討〟という見出しの記事を載せている。

それによれば、〝政府は、今回の退位が将来の先例とならないよう、前文か一条に「今上陛下固有の事情」を書き込む方向で検討に入った〟という。その理由として〝政府が最も懸念してきたのは、将来の天皇が自分の都合で退く恣意的な退位や、時の政権などによる強制的な退位で、これをいかに防ぐかに意を注いできた〟とある。

また、自宅に戻って読売新聞を開くと、一面に〝秋篠宮さま「皇太子」待遇〟との見出しで、〝一代限りの特別法案…は、皇室典範と皇室経済法や宮内庁法など関連法の特例を一括したものとする…方向だ〟と報じている。ただ、産経新聞には該当記事がなく「平成30年史」の連載を始めている。

なお、ネット検索では、毎日新聞が〝特別立法、天皇の意思明記せず〟との見出しで、〝退位の時期は、法案に明記する方法と皇室会議の議論を経て決定する方法の両案を検討する。…政府は…平成30(2018)年をめどに退位実現を目指す〟と伝えている。

「摂政」と「臨時代行」の規定

これらの記事は、各紙の取材による成果であり、大筋間違いないと思われる。しかし、具体的な法案の内容は、政府筋の飛ばしたアドバルーンだとすれば、しばらく世論の反応を観る必要があろう。それよりも気になるのは、千枚近く頂いた年賀状の中に、数十年来の友人が「天皇は終身在位され、公務は摂政に委任すれば済む筈だ」と態々書いてきたことだ。そこで、その是非をハッキリするため、新年「日本学広場」の初めに、これをテーマとしよう。

まず現行の日本国憲法は、象徴・世襲の地位・身分にある天皇の役割について、第4条で「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する機能を有しない」と制約し、その第2項で「天皇は、法律の定めるところにより、この国事に関する行為を委任することができる」としている。しかし、後者の法律が出来たのは、憲法施行から17年後の昭和39年5月であり、その第2条に次のごとく定めるにすぎない。

「天皇は、精神若(も)しくは身体の疾患又は事故があるときは、摂政を置くべき場合を除き、内閣の助言と承認により、国事に関する行為を…摂政となる順位にあたる皇族に委任して臨時に代行させることができる。」

すなわち、GHQ草案に基づく現行憲法では、天皇の役割を憲法の規定する国事行為のみに限定している。また法律によって、その国事行為すら出来ない状態の時には、他の皇族に委任して臨時代行させうるが、厳密にいうと、国事行為以外の役割を代行すれば違法とみなされかねない。

これは、憲法の第5条に定められる「摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ」という摂政も、同様と解するほかない。憲法に基づく法律の皇室典範は、第16条で「天皇が成年(満18歳)に達しないとき」か「精神若(も)しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」に限って、「皇室会議の議により、摂政を置く」と定めているが、これも厳密にいうと、心身の機能不全・回復不可の状態で置かれる摂政は、「天皇の名で」国事行為しか代行できない原則になっている。

天皇ご自身による祭祀行為

しかしながら、現行憲法の施行後70年間、昭和天皇も今上陛下も、(イ)「国事に関する行為のみ」を行ってこられたわけではない。憲法の第6条(2項目)・第7条(10項目)に定める国事行為は、おもに「日本国の象徴」(元首に相当)として行われる名誉的・儀礼的な任務が多く、勿論それは一々重要な意味をもっている。けれども、それ以外に、(ロ)「象徴としてふさわしい公的行為」が国事行為の何十倍もあり、また、(ハ)「皇室の伝統的な祭祀行為」も毎年20回以上にのぼる。

では、現行法下の「摂政」や「臨時代行」は(イ)以外に(ロ)も(ハ)も行いうるのであろうか。戦後「摂政」の置かれた例はないが、それより条件の軽い「臨時代行」は、昭和40年代から何度も委任されてきた。その代行者(ほとんど皇太子。ただ皇孫・皇次子が代行の代行をした例もある)は、(イ)だけでなく、(ロ)も(ハ)も全て行いえた(為しうる)と思われやすい。

けれども、実際は天皇ご自身でなければ出来ないことがある。とくに「伝統継承者」として今上陛下も精励される祭祀行為(宮中祭祀)は、明治以来の「皇室祭祀令」に準拠するが、毎年元旦(午前5時半)、神嘉殿の南庭で営まれる平安初期以来の「四方拝」は、昔から「(天皇)出御無きの時、御代拝に及ばず」とされ(宮内省編『天皇皇族実録』参照)、事実、御不例の時など行われていない。

また、年中祭事として最も重要な11月23日夜(午後6~8時と11時~翌1時の2回)営まれる「新嘗祭」では、「皇族祭祀令」付式により、天皇ご自身が神嘉殿の母屋で正座され、まず「神饌御進供」、つぎに「御拝礼・御祭文を奏す」のみならず、さらに「御直会」(なおらい、神饌の一部を召し上がること)に深い意味がある。しかし、天皇の出御が無い時、「神饌は掌典長これを供進す」るけれども、「御直会」は代行できない(元侍従長・元掌典らの証言参照)。

このように、皇室の伝統として一番大切な宮中祭祀は、天皇みずからなさるべきもので、摂政や臨時代行では満足に為しえないことが少なくない。今上陛下のお立場では、そういう不十分な在り方を続ければ神々に甚だ申し訳ない、という思いを懐いておられるものと拝察される。

「国民統合の象徴」としての公的行為

もう一つ、今上陛下が父帝を手本として、積極的に取り組んで来られたのが、(ロ)の公的行為である。これは「日本国民統合の象徴」として「国民の総意」に応えるため、ご自身で実行されてこそ意味がある。その背景には、皇太子時代の辛い経験と深い反省があるといわれている。

たとえば、昭和28年(1953)6月、英国エリザベス女王(27)の戴冠式に、昭和天皇(52)の名代として皇太子明仁親王(19)が参列された。当時まだ天皇が「国事行為の臨時代行」を委任して外国訪問する法整備もできていなかったから、やむをえない措置とはいえ、英国などの賛同により講和独立を遂げた日本国の元首に相当する天皇ではなく、大学生の皇太子が代理出席されることに、英国では非礼だとの痛烈な批判が起こり、殿下は肩身の狭い思いをされたようである。

ただ、幸い渡英直後チャーチル首相の温かい配慮と殿下の堂々たる御言動により、ご自身と日本に対する信頼と敬愛を高められ、その後5名の男女皇族が留学されるほど、日英関係は良好である。とはいえ、昭和天皇(87)の御大喪にも今上陛下(56)の即位礼にも、英国は女王陛下(69)の名代として皇太子殿下(42)しか参列されなかった。これが対等な国際関係の常識であって、元首級の役割は象徴天皇ご自身しかできないのである。

また、国内各地へのお出ましも、国事行為でなく公的行為であり、昭和天皇は敗戦直後から全国を巡幸された。しかし、最後に残った沖縄県のみ、昭和50年(1975)7月の海洋博覧会にも同62年10月の海邦国民体育大会にも、現地の状況と天皇陛下(74・86)御不例により、皇太子殿下(41・53)が御名代として臨席された。それを誰よりも残念に思われたのは天皇ご自身であって、後者の癌御手術直後に次のごとく詠んでおられる。

「思はざる病となりぬ沖縄を訪ねて果さむつとめありしを」

まさに日本の一部であり、祖国のために戦った沖縄を訪ねて慰霊し激励されることが、昭和天皇の「つとめ」であり悲願だったにちがいない。その御真意を汲んで、皇太子殿下は御名代の大役を立派に務められたが、それでは不十分と自覚され、平成5年(1993)4月、全国植樹祭の機会に「象徴天皇」の立場で初めて沖縄を訪ね「深く哀悼の意を表す」と共に、琉歌「弥勒(みるく)世よ願て(にがてぃ)揃(す)りたる人たと(ふぃとぅたとぅ)戦場の(いくさばぬ)跡に松よ(まついゆ)植ゑたん(ういたん)」と詠んでおられる。

これこそ「国民統合の象徴」である今上陛下が「全身全霊」で努めてこられた「つとめ」にほかならない。それゆえ、高齢化しても在位を続ける場合、「象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」(8月8日の「お言葉」)と仰せられ、「天皇という役割は、摂政によって代行できるものではない」から、「皇太子に譲位し、天皇としての全権と責任を譲らねばならない」(参与会議での「お言葉」)と強く訴えてこられたのである。

この真摯な「象徴天皇」今上陛下の真心を、真剣に受けとめるのは、私ども日本国民として当然の良識であり、その実現に必要な法整備に取りくむのが、政府・国会の関係者には当然の責務であろう。なお、もし関心のある方は、近著『象徴天皇「高齢譲位」の真相』(ベスト新書)を参照して頂きたい(正月3日記)。

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