「男系」「女系」の誤用解消から出直そう



「男系」「女系」の誤用解消から出直そう
(京都産業大学名誉教授 所  功
二十数年来の皇位継承論議で繰り返し問題視されてきたのは、「男系」「女系」の是非である。しかし、それは筋違いであって、冷静に両語の原義を再確認し、その用例を再検討して、正確な認識に基づく真面(まとも)な議論が必要だと思われる。
そもそも近世までの日本史上、皇位・皇統に「男系」「女系」という類別は見当たらない。むしろ本質的に重要なことは、奈良時代後期(七六九)皇位への野望を遂げようとする僧道鏡を退けた和気清麻呂が、宇佐大神から受けたという託宣に「わが国家は開闢以来、君臣(の分)定まれり。・・・天つ日嗣(天皇)は必ず皇緒(天皇の血統に属する皇族)を立てよ」(『続日本紀』)と明示するとおり、男系・女系の区別ではなく、君主と臣下の分別である。それは幕末の俊傑真木保臣も、文久元年(一八六一)楠木正成の誠忠を洞察した「楠子論」に、「皇統の継ぎたまふ有らば、則ち我が志の成れるなり」と記すだけで、その「皇統」を男系男子とみていたわけではない。
ところが、近代に入ると、何事も法制化する必要に迫られ、明治十三年(一八八〇)に元老院で「国憲案」の最終案を作った。その中で、「帝位継承の順序」について「やむをえざるときは、女統にて嗣ぐことを得」と定めている。また五年後(一八八五)、宮内省起草の『皇室制規』も、「皇族中、男系絶ゆるときは、皇族中女系を以て継承す。」と記している。しかし、それに伊藤博文の重用した井上毅が烈しく反対し、四年後(一八八九)制定の「皇室典範」では、皇位継承者を「祖宗の皇統」に属する「男系男子」(「帝国憲法」でも「皇男子孫」)と限定をするに至った。
すなわち、「皇統」を「男統(男系)」と「女統(女系)」に分けたのは、明治以後のことであり、当初は両系の存在を認めながら、途中で前者にのみに限定したのである。それは、「男尊女卑」の風潮が根強く、男性皇族を軍人とし天皇をトップの「大元帥」と定めた在り方と表裏一体である。
しかしながら、根本的に重要な史実は、わが国の皇室には元来「姓」(今の名字)が無く、父系(男系)の姓を絶対とする中華帝国のような〝易姓〟(えきせい)が無い〝万世一系〟の国柄を保持してきたことである。
それゆえ、女性天皇・宮家女主の夫も、皇族になれば姓が消え、その子が皇位を継承したり宮家を承継しても皇族ならば姓が無いのだから、いわゆる女系によって別王朝になるようなことはありえない。
この点は、拙稿「〝天子に姓なし〟の認識と釈義」(日本学協会『日本』今春四月号)に詳述した。また吉田孝博士も、二十年前(平成十八年)、『歴史のなかの天皇』(岩波新書)で、「倭(日本)の大王(天皇)は、二一世紀の現在に至るまで姓をもたない。・・一般人の社会規範から超越した存在」と明記されている。
ただ、「皇統譜」をみると、「世系第一」の天照大神(皇祖神)から数えて「世系第七」の神武天皇以降一二六代の今上陛下まで、大多数が皇族男性である(皇族女子の女帝は八方十代)。これは古代より中華帝国(特に儒教)の影響を受けて「男帝」を重んじ、皇族男子が次々と皇位に就かれたから、振り返ると〝男系〟で続いてきたようにみなされるのであって、アプリオリに「男系」絶対の原理を踏襲してきたわけではない。
従って、今後の皇位継承は、皇族男性(長系長子)を優先すると共に、万が一に備えて皇族女子も公認しておくことが、賢明であり必要だと思われる。

(令和八年四月十七日朝)

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