「教育勅語」批判を批判する
佐 藤 健 二
〈教育勅語について「教材として用いることまで否定されるべきでない」とする政府答弁書をめぐり、野党と一部メディアが大騒ぎしている〉 四月五日付の産経新聞が朝刊五面トップに載せたリード文の冒頭である。見出しには「教育勅語否定まるで言論統制」とある。
これは、森友学園が園児に教育勅語を暗唱させてゐるといふことに対する「野党と一部メディア」の過激な反応ぶりについて報道してゐるのであるが、一部メディアとして俎上に乗せられてゐるのが朝日新聞と毎日新聞である。両紙に共通するのは「戦前の価値観に回帰しようとする動き」(朝日新聞四月二日付社説)として安倍政権を批判してゐることである。その価値観とはどのやうなものか。
おそらくそれを代表するのが、同記事内で紹介されてゐる、ジャパン・タイムズ記者が三日の菅官房長官の記者会見の時に発したとする次の言葉、「教育勅語が戦争中に果たした役割、天皇のために命をささげなさい、臣民になりますというところに関して反省はないのか」といふものであらう。以前からかなりのメディアや言論人が決まり文句の様に発してゐた、教育勅語は戦前日本の軍国主義を支へた理念であり、教育勅語による教育により戦前の若者は、天皇陛下万歳と言って死んでいったとするものである。
このやうなイデオロギーが教育勅語のどの箇所から作り出されたかといふと「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」(原文漢字カタカナ交り、濁点なし)といふ部分である。戦後反日左翼はこの部分を「一旦戦争が起これば国のために奉仕し天皇のために命を捨てよ」と読み換えた。御存じの通りGHQの占領目的は日本の軍事力解体であり、徹底した弱体化であった。彼らは日本の強さを肌身で感じてゐた。日本が敗れたのは、物資の不足によるものであり、精神的にはいまだ天皇を中心とした国民一体感が根強いと思ってゐた。彼らはその強さの元となってゐる精神そのものの破壊を狙ったのである。その狙いが教育勅語であった。
しかし、教育勅語は渙発されると間もなく英語・ドイツ語・フランス語・支那語など各国語に翻訳され、多くの国々からその理念の高邁さ、格調の高さを賞賛されてゐた。うかつに手をだせない。日本政府も当初は、道徳律として教育基本法に抵触するものでないとして、教育勅語と教育基本法との両立を考へてゐたのである。日本国憲法は前文で詔勅の失効を謳ってゐるが、そもそも教育勅語は政治文書としての詔勅とは異なるのである。政治文書としての詔勅は国務大臣の副書を必要とする。教育勅語には副書がないのである。
つまり教育勅語は政治文書の様な命令文ではない。あくまでも明治天皇の教育へのご意向を「朕思ふに」という形で国民に直接語りかけたものである。それ故、最後には「朕爾(なんぢ)臣民と倶(とも)に拳々服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其德を一にせんことを庶幾(こひねが)ふ」、つまり「私は国民と共にこの訓へを大切にして、私も国民も一つの道徳のもとに生きることをこひ願ってゐる」とご希望仰せられ、君民一体となって道義国家をつくることを願はれたのである。日本人が祖先から受け継いだ高い道徳律を維持し、世界に誇る立派な国民になってもらひたいといふ深い御仁愛から発せられたものなのである。
教育勅語の精神を破壊するためにGHQが考へたのは、日本人自身にその失効を宣言させることであった。昭和二十三年の衆参両院による排除・失効宣言は、GHQの秘かな工作に基づくものである。その事実はすでに研究者の手で明らかにされている。政府答弁に対して「戦前への回帰」などと大騒ぎをしてゐる「野党と一部メディア」こそが、実は占領時代に回帰してゐるのであり、その価値観の中での思考停止状態がいまだに続いてゐるのである。
この機会にこそ教育勅語をしっかり読み直して、人としての誠実な生き方、公を重んじる生き方についてよく考へてもらひたいものである。(東京教師会会長 H29,4,12受)