※添付資料に「平泉澄博士との関わり私的略年譜」があります。
去る十一月三十日、國學院大學の常磐松ホールにおいて藝林会の第八回学術大会を開催した。
今回は平泉澄博士が昭和五十九年(一九八四)二月十八日に数え90歳(満89歳)で帰幽されてから満三十年という節目にちなみ、同博士をめぐる諸問題について検討する特別な大会となった。その全容は、来年四月発行の『藝林』第六十四巻一号に収録予定であるが、要点と私的は所感を略記しておこう。
まず会場は、國學院大學教授の嵐義人氏(約四十年前から律令研究会・国書逸文研究会の学友)が同大学図書館の大ホールを借りるのみならず、設営など準備に万端ご尽力下さった。また、その会場に平泉博士自筆の日誌や講義ノートおよび数十葉の生涯にわたる貴重なパネル写真を展示することができたのは、嫡孫隆房氏(藝林会会長・61歳)が快く提供されたからである。
しかし、その平泉会長が急に体調不良のため出席困難となった。そこで、白山芳太郎氏(本会副会長)の進行によって、午前中最初の基調講演「祖父平泉澄の家風と神道思想」は、あらかじめ用意ずみの原稿を令息の紀房氏(金沢工業高専教諭・28歳)が立派に代読された。思いがけないハプニングながら、平泉博士の学統が曾孫まで確かに伝わっていることを、参加者一同まのあたりにする機会ともなった。
ついで、京都産業大学教授植村和秀氏(48歳)による基調講演「滞欧研究日誌にみる平泉澄博士」は、昭和五年から一年三ヶ月余り欧米の主要国を歴訪して来られた博士が、特にドイツ・イタリア・フランス・イギリスで滞在中の研究日誌(『藝林』に連載中)を精査して得られた知見と意義について明快に講述された。
同氏は十数年前に京都の古本市で平泉博士著『万物流転』を偶然入手以来、他の全著作を丹念に精読して、博士こそマイネッケやクローチェと同じく敬虔な信仰と誠実な信念をもつ”歴史神学者”にほかならないことを看取されたが、それは抜群の語学力と真摯な研究心によると見受けられる。
さらに、午後の研究発表は、㋑関西大学兼任講師若井敏明氏(56歳)による「史学史上の平泉澄博士」、㋺神戸大学准教授昆野仲幸氏(41歳)による「平泉澄博士の日本思想史研究」、㋩東京大学教授苅部直氏(49歳)による「大正・昭和の歴史学と平泉史学」であった。いずれも十数年来の専門的な研究実績に基づいて「平泉史学」を正当に再評価された意義は極めて大きい。
その後、私(72歳)の司会で植村・若井・昆野・苅部の四氏による補足説明と相互討論および参加者からの質疑に対する応答を一時間半近く行った。それによって内容の理解が深まり今後への展望も開けてきたように思われる。
この一日を通じての私的な感慨は、戦後の学界・論壇などで不当に非難されてきた平泉澄博士の実像が、博士直弟子の市村真一博士編『先哲を仰ぐ』や田中卓博士編『平泉博士史論抄』および同氏著『平泉史学と皇国史観』『平泉史学の神髄』などを手掛かりとして、真面目に研究する若い学者たちにより解明されつつある現実を迎え得た喜びである。これが更に進展するよう、孫弟子世代の私も微力を尽くしたい。
(十二月六日記)