モラロジー研究所では、半世紀余り前から「教師自身の向上を通じて道徳教育の充実と発展に寄与する」ため、文部(科学)省と各地教育委員会の後援をえて、毎年夏休み中に「教育者研究会」を開催し続けてきた。
その第五十一回教育者研究会が、今回は「思いやりの心を育てる」をテーマに、六月下旬から全国92会場で行われつつある。私も当研究所の専任となった一昨年から、その手伝いに出向いており、今夏は八月七日に岐阜県大垣市、また九日に奈良県広陵町へ出講した。この機会に知りえたこと感じたことの若干を略述しよう。
大垣市の小四エッセイ表彰式と教育者研究会
大垣市では、大垣モラロジー事務所の主催、市教育委員会と岐阜県教育モラル研究会の共催により、市内小学校(二十二校)の先生方に協力をえて、四年生1230名から「家族のきずな」というテーマのエッセイ(400字以内)を寄せてもらった。その入賞者6名と入選者33名の表彰式が、七日午前、研究会に先立って行われ、私も参列した。
ここでは、小川敏市長の祝辞についで、入賞者が各自の作文を大声で朗読したが、いずれも家族(特に母親)への率直な感謝の思いを綴っており、心打たれた。
ちなみに、大垣市は、小学校四年次に「二分の一成人式」、また中学校ニ年次に「立志式」も実施しているという。その熱心な取り組みに敬意を表したい。
なお、今年の大垣は、都市対抗野球の天覧試合で西濃運輸が優勝の夢を果たし、また全国高校野球夏季大会に大垣日大高校が連続出場することになり、市中に元気がみなぎっている。
午後の研究会には、市内小中学校の先生方と市民有志、あわせて百数十名が参加された。冒頭に山本譲教育長の歓迎挨拶があり、まず多度小学校の安藤理恵教諭から、ついで私から、さらに文科省初中局教科調査官の赤堀博行氏から、各々道徳教育の具体的な在り方について講述した。
三者が共通して採りあげたのは、今春から全国の小中学校で使用中の文科省編『私たちの道徳』である。このテキストについては、既に『ぎふの教育』六月号の拙稿(かんせいPLAZA転載)で論評したとおり、大変よくできている。ただ現行「学習指導要領」も掲げている「国旗・国歌」の理解や「天皇への敬愛」育成に資する記述が全く無いのは不可解。今後ぜひ改善してほしい。
京都府民ホールで公演された冷泉家の乞巧奠
続いて翌八日、京都府民ホール「アルティ」で冷泉家時雨亭文庫主催の「乞巧奠」(きっこうてん)が公演され、御当主から招待状を頂いていたので、学友K氏と共に参上した。
「歌聖」藤原定家の直系名門として知られる冷泉家は、明治以降も京都に留まり(他家は殆ど東京に移住)、平安王朝風の五節供行事などを今も忠実に催しておられる。
その一つ「乞巧奠」は、古代中国から伝わった七夕(しちせき)の星祭である。従来は御所北の冷泉家(重要文化財)邸内で行ってこられ、十年程前、床に座って拝見したことがある。それを今回は、立秋翌日の八月八日(旧暦七月七日)、府立の広い能楽堂ホール(御所西)で公演されることになり、三笠宮家の彬子女王さまも臨席された。
乞巧奠とは、天の河に輝く星(牽牛・織女)に技芸が巧みになることを乞い祈るためお供えする祭りである。そこで、まず蹴鞠保存会よる「蹴鞠」(けまり)の実演、ついで市姫雅楽会による「雅楽」(四曲)の演奏があり、さらに冷泉家歌の会による「兼題」と「当座」で詠まれた和歌の古式ゆかしい「披講」が行われた。
合計二時間半、いずれも優雅な宮廷文化の姿を静かに堪能することができた。とくに御当主夫人冷泉家貴美子さんの簡潔な解説があり、たとえば「蹴鞠は、サッカーなどのように敵を破るための戦いではなく、仲間の相手が受け易い鞠を蹴って渡す気配りの遊びです」という説明など、心に残った。
少年皇太子(十一歳)「新日本建設」の御決意
さらに翌九日は、奈良県北西部の広陵町で百数十名の参加される教育者研究会の開催予定であった。しかしながら、早朝に台風十一号の豪雨警報が出たので、研究会は中止せざるをえなくなり、急拠十時から正午すぎまで、モラロジアンと有志が任意で参加する講演会に切り替えられた。それでも、山村吉由広陵町長をはじめ数十名が熱心に聴講して下さったのは、感謝にたえない。
そこで私は、足かけ七十年前の敗戦(停戦)について考え直すため、昭和二十年(1945)八月十五日当時、学習院初等科六年生の皇太子明仁親王が、疎開先の奥日光で書かれた「新日本の建設」と題する御作文を中心に御話させて頂いた。
この御作文については、拙著『皇室に学ぶ徳育』(モラロジー研究所刊)収録「今上陛下の戦没者慰霊」でも紹介したが、当時満十一歳の少年皇太子は、敗戦後「どん底からはい上がって……新日本建設に進む」という重い任務が「私の双肩にかかってゐる」と自覚され、「どんな苦しさにも耐へ忍んで行けるだけのねばり強さを養ひ……日本を導いて行かなければならない」と決意されている。
そして確かに、戦後四十四年近く父君昭和天皇に学ばれ、ついで践祚から二十五年余り、誠心誠意その実践に努め続けて来られた。このような今上陛下の積極的な御精励の原点は、敗戦直後の御決意ある、とみて大過ないであろう。
なお、翌十日午前、東京の日本テレビ本社において「皇室日記」用の収録があり、上記の御作文について解説した。十五日に両陛下が「全国戦没者追悼式典」に御臨席の映像を中心に編集して、十七日(日)早朝に放映される予定である。
(八月十一日記)