(54)師走の東奔西走あれこれ



十二月の和風月名「しはす」(しわす)に「師走」「師馳」の字を充てるのは、法師が檀家に出かけてお経を読むため走り廻るほど忙しい月だから、という俗解が平安後期の『奥義抄』などにみえる。それはともあれ、私も年末近くに東奔西走の数日を過ごした。

まず十六日(水)朝、柏のモラロジー研究所に行出勤し、午前中、麗澤大学オープンカレッジ講座「『昭和天皇実録』に見る大御歌(その八)」を担当。昼休み、京産大OBの加藤康成氏と会食しながら、若泉敬先生顕彰の在り方などについて懇談。午後、道徳科学研究センターの「廣池千九郎研究会」に出席した。

その夕方、新宿の麗大研究センターへ移り、宍戸忠男氏を講師とする「後桜町女帝宸記講読会」(四時~六時)と三橋広延氏の発表する「村上天皇御記逸文輪読会」(六時~八時)に出た後、地階の「三国一」で忘年会を行った。

翌十七日(木)午前中、小田原の自宅で年賀状の宛名整理。午後、再び東京へ出て台場海浜公園の「日本科学未来館」を見学。ノーベルウィークの特別展示は終わっていたが、常設展で「カミオカンデ」十分の一模型などを巡り、帰途、馬場練成氏著『大村智ものがたり』(中公)を求め、博士の生き方・考え方に更めて感銘を覚えた。

その夜、六本木のニコファーレでTOKYOMXテレビ用の「ニュース女子」収録にゲスト出演。これは「ボーイズ」の製作番組で、同社担当「そこまで言って委員会」の東京版である。放映予定(二十三日深夜)の「天皇誕生日」にちなみ、「皇室問題―皇位継承の行方―」をテーマとして長谷川幸洋氏(東京新聞論説委員)の司会により若い女性タレントの素朴な質問に答える形で進められ、かなり自由に意見を述べることができた。

翌十八日(金)午前中、小田原で雑用を片付け、夕方、井筒企画の山本社長と京都市役所へ赴き、京都大礼の展覧会について協議。その夜、同志社大学徳照館で三十年近く続けている「国書逸文研究会」の京都輪読会に出席、竹居明男教授の発表後、近くで忘年会を行い、同会の今後の進め方についても話し合った。

ついで翌十九日(土)朝、北野天満宮へ参拝して、橘重十九宮司と加藤迪夫権宮司に拙著『松陰から妹達への女訓』を献呈。十時半から井筒ビルで京都大礼文化展覧会の企画案について数名の有志と意見交換した。

同日午後二時から京都御苑西隣の護王神社会館で弘文院セミナーにおいて「奈良・平安時代の皇位継承と現在の皇室」につき講述。それを四時に終えて新幹線で羽島へ移動。七時から九時まで岐阜市内のモラロジー事務所のニューモラル岐阜塾講座において「吉田松陰の『七規七則』に学ぶ」と題して講述した。

さらに二十日(日)朝、宿泊したホテルに近い羽島市竹ヶ鼻の釈迦堂(大仏寺)へ参拝し、永田佐助の末裔から丁重な説明を承った。そこからモラロジーの方々と車で瑞浪の中日本生涯学習センターへ移動。午前と午後の各一時間、東海ブロック「まこと塾」講座で「昭和天皇の欧米御歴訪の意義」と「今上陛下の内外御慰霊の意義」について講述。その後の意見発表と質疑応答にも出たが、次代を担う有為な青壮年が多く育ちつつあることを実感した。

その夜遅く小田原へ辿り着き、さすがに疲れを覚えたが、十一日(金)に大阪の読売テレビで収録した「そこまで言って委員会」の皇室特集(この二十日午後に放映)をユーチューブで視聴。京大の伊藤之雄教授と共にゲストとしての出演であったが、この機会に「天皇陛下ご公務の代行方法」に関する意見を初めて提示した(参考までに、その要旨データを添付します)。

(平成二十七年十二月二十三日 所功 記)

添付資料

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)