(41)昭和二十年八月の御聖断と玉音放送



御前会議における停戦の御聖断
最近(八月一日)、宮内庁から七十年前の貴重な資料を公開予定と伝えられる。その一つは昭和二十年八月の十日と十四日、戦中最後の御前会議が行われた皇居吹上御苑「御文庫」(防空壕)付属室の映像資料(内部の構造図面と現状写真など)である。

昨年八月奉呈された宮内庁編『昭和天皇実録』によれば、十日未明(午前零時~二時半)、ここで開かれた「最高戦争指導会議」に臨御された昭和天皇は、「議長の首相(鈴木貫太郎)より聖断を仰ぎたき旨の奏請を受けられ」て、「股肱の軍人から武器を取り上げ、臣下を戦争責任者として引き渡すことは忍びなきも、大局上、三国干渉時の明治天皇の御決断の例に倣い、人民を破局より救い、世界人類の幸福のために、外務大臣(東郷茂徳)案にて「ポツダム宣言」を受諾することを決心した」との旨を仰せられている。

これに対して、翌十一日、陸軍大臣阿南惟幾から「今次の戦争終結については、国体護持に大いなる不安がある」と奏上があり、また十二日、参謀総長と軍令部総長から、米国務長官バーンズの回答を「断固として峻拒すべき」との奏上があった。

しかし、天皇は十三日から翌朝までかけて「戦争終結への極めて固い御決意」を関係者に伝えしめられ、十四日午前十一時「御前会議に臨御……重ねて御聖断を下された」。その際、「戦争を継続すれば、国体も国家の将来もなくなること、これに反し即時停戦(・・)停戦(・・)すれば、将来発展の根基は残ること」など五つの理由により「決心した旨を仰せられ、各員の賛成を求められ」た結果、午後の閣議で「大東亜戦争終結に関する詔書案」などの審議が行われて決定されるに到ったのである。

「戦争終結」詔書の録音と放送
この十四日、再度の御聖断ご説明に際し、依然として内外に徹底抗戦の動きもあったので、昭和天皇は「陸海軍の統制の困難を予想され、自らラジオにて放送すべきことを述べられた後、速やかに詔書の渙発により心持ちを伝えられることをお命じにな」られた。すなわち、通常なら「官報」登載で公布したことになる詔書を、今回は天皇が自ら玉音(朗読)で全国民に「心持ちを伝える」という格別の方法をとられることになったのである。

そのため、十四日夜半「警戒警報発令中の午後十一時二十五分、内廷庁舎御政務室にお出まし……放送用録音盤作製のため、大東亜戦争終結に関する詔書を、二回にわたり朗読される。……録音盤〔正(第二回録音)六枚、副(第一回録音)六枚〕は、侍従徳川義寛により地下の侍従職事務官室の軽金庫に収納される。」と『実録』に記されている。

この録音盤は、翌十五日早朝、皇居内へ乱入した決起将兵の捜索をのがれて、「宮内省総務局長加藤進・同局庶務課長筧素彦により、午前十一時過ぎ内幸町の(NHK)放送会館に運ばれ」、やがて正午「君が代吹奏、情報局総裁(下村宏)によるアナウンス、詔書の御朗読(玉音放送)、君が代吹奏、再び情報局総裁によるアナウンスの順序にて行われる」に至ったのである。

その時、天皇陛下(四十四歳)は十一時二十分から「御文庫付属室で開催の枢密院会議」を中断され、隣接の「御休所」で「ラジオ放送をお聞きにな」られた。一方、奥日光の疎開中の皇太子殿下(十一歳)は、南間ホテル奥の間で父君のラジオ放送を聞いておられる。

今回公開される資料の一つは、この録音「原盤一式」(正本五枚)とそれから「直接再生した音声のCD」である(もう一つ、翌二十一年五月二十四日「食料問題の重要性に関する御言葉」の録音原盤と再生CDも一緒に公開される)。

詔書に示された天皇の御真意
この詔書は、一般に「終戦詔書」と称される。ただ、厳密にいえば、「わが国と連合国との戦争状態」は、昭和二十七年四月二十八日(サンフランシスコ)「講和条約」の発効により終了したのである。

従って、同二十年八月十四日の詔書には「米英支蘇に対し、その共同(ポツダム)宣言を受諾する旨を通告」して「大東亜戦争終結」という「非常の措置を以て、時局を収拾せん」とする経緯と御真意を「忠良なる爾臣民に告」げられたものであり、まさに「停戦詔書」にほかならない。

その要点を抄出すれば、まず昭和十六年十二月八日「米英二国に宣戦せる所以(理由)」は「帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(希望)する」以外にないが、四年に及ぶ交戦で、将兵・有司・衆庶が「各々最善を尽く」しても、戦局好転せず、しかも「敵は新たに残虐なる(原子)爆弾を使用して、頻りに無辜(こ)を殺傷」するに至り、交戦を継続すれば「我が民族の滅亡を招来」し「人類の文明をも破却」するおそれがあるので、「共同(ポツダム)宣言に応」ぜしめられたのである。

ついで、この大戦により「戦陣に死し職域に殉じ非命に斃れたる者、及びその遺族に想を致せば、五内(五臓)為めに裂く(悲しい極みである)。かつ戦傷を負ひ災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(憂慮)する所」であるが、「時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かん」と決心されたのである。

さらに、この決断により「国体を護持し得」ること、また天皇は「爾臣民の赤誠(真心)に信倚し、常に爾臣民と共に在」ること(君民一体)、それゆえに、今後とも「挙国一致、子孫相伝へて……総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(固く)し、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを」強く求めておられる。

何と正々堂々たる御聖旨であろうか。いわゆる戦後七十年を迎えるにあたり、この詔書を精読して、先帝の御期待に少しでも応えられるよう努めたいと思う。

 

【資料】<終戦の詔書(しゅうせんのしょうしょ)現代語訳>

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

私(昭和天皇)は、深く世界の大勢と帝国(日本)の現状とを考え、非常の措置を以って時局を収拾しようと思い、ここに忠良な国民の皆さんに知らせます。

朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

私は日本政府をして米国・英国・中国・ソ連の四国に対し、その四国共同のポツダム宣言を受け入れるよう通告させました。

抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所

そもそも日本国民が平穏なように図り、世界全体が共栄を楽しめるようにすることは、皇室の祖先が遺された規範であり、私も謹んで大事に守ってきました。

曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス

先に(昭和16年12月8日)米国と英国に対して開戦を宣告した理由も、また実に日本の独立と東アジアの安定とを念願してのことであり、他国の主権を排するとか、領土を侵すようなことは、もとより私の意思ではありません。

然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル

ところが、すでに交戦は四年に及び、私の統帥する陸海軍の将兵が勇敢に戦い、また私の任命した多数の官吏が勤勉に働き、さらに私の信頼する全日本人が奉公に努め、各々最善を尽くしているにも拘わらず、戦争の局面が容易に好転せず、世界の情勢も日本に有利な状況になりません。それだけでなく、敵(米国)は新たに残虐な原子爆弾を使用して、全く罪の無い庶民まで殺傷するに至り、その悲惨な被害は測り知れません。

而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

それでも依然として交戦を継続するならば、ついに我が日本民族の滅亡をもたらすのみならず、やがて世界人類の文明をも破壊させることになりかねません。もしこのようなことになれば、私はどうしても我が子のような全国民を守り、先祖の神々に謝罪することができるか(できません)。それゆえ、私は日本政府にポツダム宣言を受け入れさせたのです。

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ

私は日本と志を共にして、常に東アジアの欧米からの解放に協力する盟友の国々に対し、遺憾の意を表明するほかありません。また日本国民で戦場において戦死したり、職場において殉職したり、思いがけない戦災や被爆などで命を亡くした人々、及びその遺族たちのことに想いを致すと、自分の全身を引き裂かれるほどです。さらに戦場で傷を負ったり、戦災を受けて住む家や仕事を失った人々の生活を安定させるようなことは、私が深く心を痛めているところです。

惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス

考えてみると、これから日本国家が受ける苦難は、当然大変なことにならざるをえません。国民の皆さんの心情も私はよく判っています。しかしながら、私は時の運がこうなった以上、耐え難いことを耐え忍び難きも忍ぶことによって、将来の世代のために平和への道を開きたいと思います。

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム

私はこうして、日本らしい国柄を守り通すことができ、忠良な国民の皆さんの誠意を信頼して、常に皆さんと心を共にします。ですから、もし敗戦を知って、激情に走り無闇に争い事を起こしたり、或いは同じ国民が相手を陥れたりして時局を混乱させ、そのために正しい道を踏み誤まり、世界から信頼を失うようなことになることを、私は最も戒めなければならないと思っています。

宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

どうか国を挙げて一つの家のように団結して子々孫々に伝えてほしいが、それには日本が神の守りたまう不滅の国であることを固く信じ、任務が重く道が遠いことをよく考えて、将来の建設に向けて全力を注ぎ、道義を重んじ信念を固くして、日本らしい国柄の真髄を輝かせ、世界の進む動きに遅れないよう、決意して努力しなければなりません。国民の皆さん、どうかよく私の真意を理解してほしいと思います。

(終戦の詔書・現代語試訳 平成27年7月17日 所 功)

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