(42)「大正(京都)大礼百年記念展覧会」に向けて



今年は、大正四年(一九一五)十一月に京都で大礼(即位礼・大嘗祭・大饗儀)が行われてから満百年になる。

この大礼は、明治二十二年(一八八九)制定の「皇室典範」および同四十二年(一九〇九)公布の「登極令」に基づき、初めて実施された近代的な皇位継承儀礼である。それが先例となって、昭和三年(一九二八)および平成二年(一九九〇)の大礼を可能にした、といっても過言ではない。

そこで私は、平成の大礼に先立って、国立公文書館へ何度も通い、大正八年(一九一九)までに宮内省と内閣で編纂されていた膨大な『大礼記録』を特別に拝見し、暫く研究を続けるうちに許可を得て、清書本全冊と写真帖などを京都の臨川書店からマイクロフィルム出版したことがある。

しかも、今年に入って、宮内庁京都事務所では、四月の京都御所一般公開に際して、大正大礼のため再建された春興殿などを外から拝見できるよう配慮された。また六月、昭和十二年までに宮内省で編纂されていた『大正天皇実録』が、宮内庁から全面公開されるに至った。

こういう状況を迎えると、皇室史に関心をもつ私としては、じっとしていられなくなる。とくに一昨年来、京都府と京都市の提唱している「双京構想」の有識者懇談会に招かれ、京都が明治以降も「ミヤコ」(天皇の宮殿(みや)宮殿(みや)がある処(こ)処(こ))として機能した大正と昭和の大礼を検証し、その意義を広く府市民に再認識してもらう必要があり、それには今秋の「大正京都大礼百年」を記念する特別展覧会を京都で開催してほしい、と要請してきたから尚更である。

しかし、このような展覧会は、府も市も主催することが難しく、民間有志で工夫するほかないという。そのため、京都在住の宮廷儀礼に精しい方々に相談したところ、大正即位礼儀場(紫宸殿と南庭)や威儀物の精巧な模型を所蔵される有職衣裳店の井筒会長をはじめ、大正・昭和大礼の御下賜品などを所蔵される伝統文化保存協会(財団法人)の今井会長などから、全面協力する旨の御快諾を賜った。

さらに、京都市の総合企画局(京都創生室)から、民間主催の展覧会に対して後援する意向が示された。そこで八月二日午前、二条城近くのANAホテルで市の部課長と民間有志との会合をもつことになった。

ところが、その前夜、妙心寺近くの旧居(家内の実家)に泊り、古い書棚の中から昭和五十一年(一九七六)十月開催の「昭和大礼五十年記念大文華展」の図録を見付けた。それは何と「京都市・日本文化財団・京都新聞社」の主催、「総理府・文化庁・全国教育委員会」の後援で行われ、京都御所の宝庫に所蔵される昭和大礼の威儀物類が数多く出品されている。

従って、大正大礼百年記念展覧会も、京都市等の主催で出来ない筈はないと考え直し、翌日の会合では有志に賛同をえて市側に再検討を強く求めた。この先どうなるか判らないが、遅くとも来秋までに四十年前と同等以上の展覧会が実現できるよう、有志と共に微力を尽くしたい。

なお、私は七月三十一日(金)京都産業大学の図書館に朝から夕方まで腰を据えて大正『大礼記録』のマイクロフィルムをリーダーで通覧し、主要な部分(約二〇〇枚)をプリントした。また八月一日(土)には、兵庫県明石市の市民会館で吟道「摂楠流」文化講演会において、大正天皇の御製漢詩につき講述した。さらに今月末までに拙稿「大正京都大礼の歴史的意義」を書き上げ、『藝林』第六十四巻二号(十月発行)に掲載を予定している。

(【付記】八月二十八日午後、京都井筒の復元模型見学ご希望の御方は私あて御一報願います。 所功 記)

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