小堀桂一郎博士の我田引水論は甚だ不可解



小堀桂一郎博士の我田引水論は甚だ不可解
京都産業大学名誉教授 所  功

「皇室典範の一部を改正する法律」が国会に上程され、今国会中に成立をはかるという。その目途が立った直後の七月三日付「産経新聞」の「正論」欗に、小堀桂一郎博士の「皇位の男系継承は〝国民の総意〟」が掲載された。
それを一読して、同氏が平成十四年(二〇一二)から研究会を続け、「男系男子の後裔をお持ちである旧宮家に皇籍への復帰を通じて宮家の再興をお願ひするといふ提案」を纏め、国会議員などに働きかけ、「皇室に養子縁組を認める事によって皇位継承権を有する男子皇族の増員を諮るとの提案」に基づく法案が漸く出来た、と説明されている。
これは熱心な尊皇家として、確信する方策の実現に尽力された成果を自画自賛されているのだろうか。しかしながら、その確信を補強する「正論」後段の記述は甚だ不可解である。それは誰でも気付きうることながら、日本会議の副議長までされた大御所の影響を考えると、黙過することができない。そこで、著名な碩学に失礼ながら、露骨な我田引水論だと申し上げざるをえない。

小堀博士は「此処で思ひ起こすべきは昭和23年刊行の和辻哲郎著『国民統合の象徴』」だとして「和辻は氏の書で、我が国の歴史に於ける神武天皇の肇国・・・爾来、この国は二千年に亘って男系継承という不動の原理に立つ皇統を守って来た・・・と立論した」と記されている。
しかし、この書(昭和三十七年の和辻全集所収版も平成五十一年の新編版もある)を丹念に読み返したが、右のような論旨はどこにも見当たらない。それどころか、本質的に異なる史実が、次のごとく指摘されている(丸括弧の注記は引用者)。
天皇氏などという「氏」があったことを、わたくしはどんな資料からも見出すことはできない。・・・「氏」の概念や制度が日本において(出来たのは)非常に新しいということは、すでに『日本古代文化』において詳しく論じた。」
これは皇統を「男系男子原理主義」で説く人々に最も不都合な真実であろう。なぜなら、男系(父系)を絶対視するのは、周代ころからの中華帝国において、王侯たちが父系の氏姓のみ正統と観念し、その氏姓を男子により継承してきた系譜を父系(男系)だと自負してきたからであろう。

しかしながら、日本の皇室では、古代(大和朝廷による国内統合)以来、「スメラミコト」(大王=天皇)は、氏姓を必要とせず、至高の立場から豪族たちに対して氏姓を授与されてきたのであるから、天皇の子孫に男系とか女系という区別は元来ない。ただそれを下賜された有力氏族では、男系尊重の慣習が定着し、皇統も多く男子の継承が続いたから、後で振り返ると男系のごとくみえるにすぎない。
けれども、女帝を否定せず、大宝元年(七〇一)成立の「継嗣令」でも「女帝」を公認している。しかも、女帝の皇女が即位した元正天皇のような女系天皇すら実在する。
従って、明治典範に定められた皇統の男系男子限定が「不動の原理」などとは断言できない。 従って、そんな原理に固執して、今は一般国民の旧宮家男系男子孫を養子として皇族にする策の必然性も合理性もない。この点を、政府も国会の議員も冷静に理解され、後で臍(ほぞ)を咬(か)むようなことのない英断をして頂きたいと切に願っている。
念のため、『日本古代文化』には、㋑大正十四年の初版本、㋺昭和九年の改訂版、㋩同三十七年の全集所収版、㋥同四十四年の新稿本などがある。㋑に少しずつ手を加えられているが、論旨は一貫している。(久禮旦雄教授の比較検証による)。

その中の「上代史概説」では、「諸氏族が・・・父系と母系との間にほとんど軽重の差がなかった前代の状態から、漸く父系の重視が起こり、父による血族の統一も行はれ始めた」と記されている。
また「遠からぬ過去に於て、「父」よりも「母」が重んぜられてゐたことは・・・母のみが「御祖」(みおや)と呼ばれ、母のみが子の名をつけたといふ如き物語によって察せられるが、しかし国家統一後には父系の重視も始まり、父の権力による家族の統括も・・・行はれ始めたらしく思はれる。」と論じている。
これは諸氏族における在り方が、母性・女系尊重から父性・父系重視の変化したことを論じられたものであり、その上に立たれていた大王=天皇・皇族の在り方を説明されたものではない。ただ、皇室も中華帝国の影響を受けて類似の傾向を辿るようになり、男帝が多くなったものとみられる。
もちろん、ここから小堀博士のごとく「男系継承という不動の原理に立つ皇統を守って来た」などとの「立論」を読み取ることは到底不可能であろう。
(令和八年七月九日記)
〈付記〉女性史研究者らの提出した要望書
日本史の研究者は多種多様であるが、総じて平成に入る前後から、実証的な研究成果を公刊できる有能な人々が急増した。その一例が女性史の研究であり、たとえば平成二十年(二〇〇八)金子幸子・黒田弘子・菅野則子・義江明子四氏共編の大著『日本女性史大事典』(吉川弘文館)なども出版されている。
それらによって歴史学の専門家・愛好者たちの間では共有されている歴史認識が、特定の思い込みを信奉する人々の耳目に届かないのは甚だ残念である。と思っていたところ、作日(八日)「日本女性史やジェンダー史の研究者有志」(平井和子・横山百合子両氏ら)が三野党(中道・公明・立憲)の「男女共同参画社会実現PT」に、次のような要望書(要旨)を提出したという(日テレNEWS・毎日新聞など)。
「弥生時代から・・・四世紀頃までの首長墳墓には女性首長のものが、かなりの割合で存在していることは、周知の事実です。」
「転換は・・・中国に倣った律令国家が成立し、男系優先が定まったからです。それでも女性を排除しない従来の継承の伝統は消えず・・・女性天皇の即位が禁止されたわけではありません。」
これらの研究者は、ジェンダーフリーの活動家ともみられており、それは私と立場を異にするが、何も発言しない単なる学究よりは勇気があると思われる。皇室の在り方に関心をもつ人々は、自分でよく考えて是々非々を明らかにして頂きたい。
(令和八年七月十日記)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)