わがファミリーヒストリーと人縁に感謝
京都産業大学名誉教授 所 功
NHK総合テレビのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」は、平成二十年(二〇〇八)の開始以来かなりよく視聴してきた。
いわゆる個人情報に関する史資料や出身地などを調査することで相当に難しい昨今、丹念に捜し廻り平明に物語を組み立てる担当者たちの努力と構成力は、歴史家などに優るとも劣らない。
そこで、番組開始のころから、自分もわが家の歴史を知っておきたいと思い、折々に調べてきたが、残念ながら三代以前のことはほとんど判らない。平成十九年に九十一歳で永眠した母や親戚などに尋ね聴いておくべきだったが、今さらどうにも仕方がない。
とはいえ、生家の仏壇にある位牌、師匠寺の過去帳、町役場から取り寄せた戸籍謄本、祖父母受信の葉書類、父(戦死)の成績表や軍歴手帳、母が結婚以来書き続けた日誌、母の里方に残る書類などから、家系の大筋や祖父母と両親の略歴などは確かめることができた。
わが家の祖先は、少なくとも江戸前期の元禄年間ころから郷里(現在の岐阜県揖斐川町小島野中)で稲作中心の農業を営んできた。それは明治以降も変わりないが、男子不在のため祖母(所姓)が祖父(樋口姓)を婿に迎え、二男二女を生み育てた。
しかし、貧しい小作農家なので、長男の父(大正元年生まれ)は尋常小学校を卒えると、家業に勤しみながら農閑期に出稼ぎをしていた。やがて昭和十三年(一九三八)、隣村(現在池田町)の河本家長女で女中奉公していた母(大正五年生まれ)と見合い結婚をした。その三年半後(十六年十二月)私を誕生させてくれたが、半年後に赤紙招集され、翌十八年七月、南洋ソロモンで戦死している(満三十歳)。
それ以来、母は女手ひとつで農業を続けながら私を育て、幸い健康に恵まれて平成十九年(二〇〇七)七月十日、妻と娘に見取られ安らかに旅立った(満九十一歳)。この母は、私の記憶にない父の俤を語り伝え、何事であれ一所懸命に(一つの所=課題に命を賭けて)取り組むことを、いつも後姿で教えてくれた。
人生にはいろいろな出会い(人縁)がある。私にとって格別重要なのは、この父と母から生まれえたことにほかならない。しかし、それ以外にも幾多の方々と出会うことにより今の自分があることは、今春から親友数名により編集途中の文集『頌寿の寄せ書き』(十二月完成予定)に頂いた百名近い方々の随想を拝見しながら再認識し、深く感謝している。
(令和八年七月三十一日大安)

