大和古語(やまとことば)に観る日本的レディ・ファースト



大和古語(やまとことば)に観る日本的レディ・ファースト
京都産業大学名誉教授 所  功

私は六十年前の昭和四十一年(一九六六)春、伊勢の皇學館大学文学部に助手として赴任した。その大学院に京都から高齢の澤瀉(おもだか)久孝博士が国文学の特別教授として来られると、休憩時間に粗茶を差し上げながら四方山話を承る機会に恵まれた。
その澤瀉先生を代表者とする「上代語編集委員会」により翌四十二年末『時代別国語大辞典 上代編』と題する大著が三省堂から出版された。かなり高価であったが購入し、今なお座右に置いている。この辞典には『万葉集』や記・紀などの用語例がふんだんに引載されており、あちこち繙きながら大和古語の世界を逍遙するのも楽しい。
たとえば、「夫婦」という漢字熟語は、『古事記』に見当たらないが、『日本書紀』には次のような記述が散見する(書き下し文で引用、丸括弧内私注)。
①巻一・神代上(八州起原の本文)「二神(イザナギ・イザナミノミコト)・・・彼の島 (オノコロジマ)に降り、因りて共(みと)の夫婦と為りて州国を産生(うま)んとす。」※同右(宝剣出現の一書)にも「夫妻共に愁へて乃ち素戔嗚尊に告(もう)す・・・」
②巻七・景行天皇四年二月甲子条「天皇、美濃に幸す。・・・留りて之(八坂入彦皇子の 女の弟媛)を通(めし)たまふ。ここに弟媛以為(おもえら)く、夫婦之道は昔も今も 達則(かよえるのり)なり。・・・」
③巻十九・欽明天皇二十三年七月「新羅の闘将・・・河辺目瓊岳(にへ)等及びその随姉 を生虜(とりこに)す。時に父子夫婦の相恤(うれ)ふる能はず。」
※同右・同三十年四月壬辰にも「更に夫婦と造(な)り惟 旧日の如くならんことを。」
これらの「夫婦」をどう訓むか。手もとの刊本のうち、まず佐伯有義博士「校訂標注六国史『日本書紀』増補版」(昭和十五年、朝日新聞社)では「オヒトメ」、また坂本太郎博士等校注「日本古典文学大系『日本書紀』(昭和四十二年初版、岩波書店)と、小島憲之博士等校注訳「新編 日本古典文学全集『日本書紀』」(平成六年、小学館)では「をめとめ」とのルビを振っている。「をひと」も「をめと」も夫の訓であり「め」(妻)の対語である。
しかし、大倉精神文化研究所編『神典』(昭和十二年初版、三省堂)は「夫婦」に「メヲト」のルビを振る。また今でも「夫婦」と書きながら「めおと」と訓むことが多い。とはいえ「めおと(メヲト)」なら「女男」「妻夫」(婦夫)の漢字を充てるべきであろう。
そこで、前掲の上代語大辞典を観ると、現代でも「父母」と普通に書くが、『万葉集』には「母父(おもちち)」「意毛知知(おもちち)」のみで「父母」の例はない。津之地直一博士「万葉集に於ける男女両性呼称語」(『美夫君志(みふくし)』(二)十四号、昭和四十五年)によれば、「母をよんだ歌(五十例)が、父のそれ(十一例)に対して五倍近くもある」「父母のことについて言う場合、多くが先づ母のことから言い出している」という。また「いもせ」(妹と背=夫か兄)の例は多いが、「せいも」(夫か兄と妹)という表記は見当たらない。
これらから類推すれば、五世紀ころより漢字・儒教に含まれる男尊女卑的思想の影響を受ける以前の日本(倭国)では、男女平等どころか、女性(母性)優先、いわばレディ・ファーストが根づいていた。それが万葉時代(七~八世紀)にも慣習として残り、今なお消え去ってはいないといえるのではなかろうか。

(令和八年七月二十二日記)

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