(61)皇室の永続可能な典範改正への具体案



「想定外」の未来に備える
いわゆる三・一一の東日本大震災から満五年。あの時、世の中に「想定外」の非常事態が起こることもある、ということを切実に学んだ。

十日夜、NHK・BS「歴史の選択」でも紹介された岩手県普代村では、和村幸得村長(明治四十二年~平成九年)が、親から聞いた明治二十九年の明治三陸地震と津波で約一千人亡くなり、また自ら被災した昭和八年の昭和三陸地震と津波で約六百人亡くなっていることを教訓として、戦後村民に理解と協力を求めながら、巨大な高さ15・5mの防潮堤と水門を造り上げた。そのおかげで、貞観大地震(八六九年)以来のM9・0という大地震に伴う14m近い大津波に襲われても、死者ゼロに止めることができたという。

これは稀有な例かもしれない。しかし、何事であれ万々一に備えて、可能な限り早めに対策を考え実行に移すことの重要性が痛感される。

現行法では皇族が激減する
この東日本大震災五周年の追悼式典(政府主催)に、天皇陛下(82)・皇后陛下(81)がお揃いで臨席され、あらゆる人々の心に深く響く御言葉を賜ったことは、まことにありがたい。かような天皇を中心とする皇室が今後とも永続することを願わない日本人は、ほとんどいないであろう。

しかし、冷静に考えてみれば、今上陛下と雖も無限に寿命を保たれることはできない。三笠宮崇仁親王が満百歳であるから、それを越えられる可能性は、勿論ありうる。けれども、大殿下は三名の優秀な親王に恵まれながら、寛仁親王殿下と桂宮様は66歳、高円宮様は47歳で他界してしまわれた。そんなことは誰も予想できなかったが、残念ながら想定外の事態が生じたことを忘れてはならない。

その上、現行の皇室典範(法律)を墨守し続けていたら、あと十数年で皇族も宮家も激減すると予測せざるをえない。それを現在政府も国会議員も知りながら、真剣に対策をとろうとしていないように見られる。あるいは極秘裡に何か準備されているかもしれないが、現行法の改正を要することであるから、大方の賛成がえられるような具体案を実現して頂きたい。

皇位は男系男子継承が原則
現行の皇室典範は、明治のそれよりも制約が厳しい。その第一条で、皇位継承の有資格者を「皇統にに属する(旧「ニシテ」)男系の男子」に限る点は同様であるが、旧典範が第四条で「皇庶子孫ノ皇統ヲ継承スルハ、皇嫡子孫皆有ラザルトキ」と側室所生の「皇庶」にも継承資格を認めていたのに対して、新典範では認めていない。

このような典範のもとで、昭和天皇も今上陛下も「皇嫡」として誕生され即位された。また現皇太子殿下も秋篠宮殿下も、さらに悠仁親王殿下も「皇嫡」であるから、今のところ三代先まで「男系の男子」による皇位継承が可能であり、この原則を直ちに変える必要はない。

ただ、現在満九歳の皇孫悠仁親王は、あと十年前後で成人され(皇太子ならば十八歳、皇族なら二十歳で成年)、やがて結婚を考えられても、候補の女性は「必ず男子を産まなければ皇統が断絶してしまう」という重圧を背負って皇室に入る決断ができるかどうか。雅子妃殿下の辛い例を知るならば、躊躇せざるをえないであろう。

そこで、当面は従来の原則を維持するとして、およそ十年後には、四代先以降の皇位継承者は、皇族男子を優先しながら、男子の無い場合など、あらゆる事態を想定して、皇族女子(皇室で生まれ育たれた女子)も可能とするような改正をしておく必要があろう。

皇族女子も宮家を立て継ぐ必要
一方、それより急いでほしいのは、現典範第十二条の「皇族女子」が一般男性と結婚した時「皇族の身分を離れる」という規定を改正することである。そうでなければ、今のところ未婚の皇族女子七名(34歳~17歳)が、十年前後で次々結婚されたら、若い皇族は悠仁親王のみとなってしまう。

現行憲法でも第一条に国家・国民統合の象徴と定められている天皇陛下の御公務は、第六条・第七条の儀礼的な国事行為(十二項目)だけでなく、多種多様な公的行為(国内外の諸行事へのお出まし等)や伝統的な宮中祭祀(大祭・小祭など)極めてお忙しい。

しかも、それに準ずる公務を、皇后陛下・皇太子殿下だけでなく、他の成年皇族も分担しておられる。もし皇族女子が全員皇室を離れられたならば、そのような公務はできなくなる恐れがある。

そこで、皇族女子が結婚されても皇室に留り、皇族としての公務を続けられるようにする必要がある。その場合、結婚相手もその子孫も皇族とするのは当然(皇族男子と結婚する一般女子もその子孫も皇族になるのと同様)であろう。しかし、その女性宮家は三代先まで皇位継承の資格をもたないことにする。ただ、現典範の第九条に「天皇及び皇族は、養子をすることができない」と規定されているが、常陸宮家のような御子のない宮家を養子として継ぎうるようにすることは必要かもしれない。

以上は十数年前から自分なりに考えてきた現実的な改正案である。さらに良い案を模索しながら、その具体化に微力を尽くしたいと念じている。

(HPかんせいPLAZA 三月十二日 所功 記)

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