本年( 二〇十五) は、大正四年(一九一五)十一月中旬、京都で大礼(即位礼・大嘗祭・大饗儀)が行われてから満百年になる。この大正大礼は、明治二十二年(一八八九)制定の「皇室典範」および同四十二年(一九〇九)公布の「登極令」に基き、初めて実施された近代的な皇位継承儀礼である。それができたからこそ、やがて昭和三年(一九二八)の大礼も平成二年(一九九〇)の大礼も可能になった、といっても過言ではない。
大正の『大礼記録』と『大正天皇実録』
そこで私は、平成の大礼に先立って、してなら後援する意向が示された。そこで八月初め、二条城近くのホテルで関係者の会合をもつことになった。国立公文書館へ何度も通い、大正八年(一九一九)までに宮内省と内閣で編纂されていた膨大な『大礼記録』を特別に拝見し、暫く研究を続けるうちに許可を得て、その清書本全冊と写真帖などを、京都の臨川書店からマイクロフィルム出版したことがある。
しかも、今年に入ってから、宮内庁京都事務所では、四月の京都御所一般公開に際して、大正大礼のため再建された春興殿などを外から拝見できるよう配慮された。また六月、昭和十二年までに宮内省で編纂されていた『大正天皇実録』(全八十五冊)が、宮内庁からほぼ全面公開されるに至った。
こういう状況を迎えると、皇室史に関心をもつ私としては、じっとしていられなくなる。とくに一昨年来、京都府と京都市のトップが提唱している「双京構想」の有識者懇談会に招かれた際、京都が明治以降も「ミヤコ」(天皇の宮殿[みや]がある処[こ])として機能を回復したのが、大正と昭和の大礼にほかならない。従って、その意義を広く府市民にも全国の人々にも再認識してもらう必要がある。それには今秋の「大正京都大礼百年」を記念する特別展覧会を京都で開催してほしい、と要請してきたから尚更である。
しかし、このような展覧会は、府も市も主体的に主催することが難しく、民間有志で工夫するほかないという。そのため、京都在住の宮廷儀礼に精しい方々に相談したところ、大正即位礼儀場(紫宸殿と南庭)や威儀物の精巧な模型などを所蔵される有職衣裳店の井筒会長をはじめ、大正・昭和大礼の御下賜品などを所蔵される伝統文化保存協会(財団法人)の今井会長などから、全面協力する旨の御快諾を賜った。
さらに、京都市の担当者(京都創生室)から、民間主催の展覧会に対してなら後援する意向が示された。そこで八月初め、二条城近くのホテルで関係者の会合をもつことになった。
四十年前以上の大礼記念展覧会を目指す
ところが、不思議なことに、その前夜、妙心寺近くの旧居(家内の実家)に泊り、古い書棚を何気なくながめていたところ、昭和五十一年(一九七六)十月開催の「昭和大礼五十年記念大文華展」の図録が見付かった。それが何と「京都市・日本文化財団・京都新聞社・近畿放送」の主催、「総理府・文化庁・近畿府県・市各教育委員会」の後援により二条城で行われ、しかも京都御所の宝庫に所蔵される昭和大礼で使用された威儀物類の現物が数多く出品されている。
従って、今回の大正大礼百年記念展覧会も、京都市や府の主催により出来ない筈はないと考え直し、翌日の会合では有志に賛同をえて市側に再検討を強く求めた。この先どうなるか判らないが、遅くとも来秋までに四十年前と同等以上の展覧会が実現できるよう、有志と共に微力を尽くしたい。
連載:「日本のソフトパワー」(隔月刊『装道』掲載) / 所 功