伊勢の神宮と皇室の関係
昨年十月、伊勢の神宮で二十年ごとの式年遷宮が行われた。この神宮は、戦後GHQの指令に基づき、一宗教法人となって久しい。
とはいえ、神宮の主祭神は天照大神であり、この大神は皇室の祖先神(皇祖神)にほかならない。今から千三百年程前に完成した『古事記』によれば、天照大神は天孫の邇々藝命(ににぎのみこと)を降臨させる際、「豊葦原の水穂国は、汝の知((治))らさん国ぞ」と仰せられたという。
そこで、九州から畿内に東征したヤマト王権(朝廷)の大君(おおきみ)(天皇)は、初め大神を宮殿の中で祀ってこられたが、やがて垂仁天皇は三世紀末ころ、皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)に託し「うまし(美しい)国」へ遷し祀られた。それ以来、歴代天皇は、皇女を大神の「御杖代(みつえしろ)」(斎王)として奉仕させ(鎌倉末まで)、国家の大事ごとに重臣を勅使として遣わし続けてこられた。つまり、伊勢の神宮は、皇室(天皇)から皇祖神の祭祀を委ねられた大宮司以下が預かっている格別な神社である。そのため、今なお主要な大祭には、元皇女の「祭主(さいしゅ)」が出向いて奉仕される。
神鏡と剣璽の関係と意義
この皇室で最も大切な宝物は、いわゆる三種の神器である。
『古事記』によれば、天孫降臨の際「八尺の勾璁(まがたま)、鏡、及び草那藝(くさなぎの)剱を賜わったが、天照大御神は特に「この鏡は専ら我が御魂として吾が前を拝む如くに斎き奉れ」と仰せられたという。やがて鏡は伊勢で、剣は熱田で立て祀られたが、宮中には代器を留められた。そして鏡は、内裏の一角「賢所」(温明(うんめい)殿)に祀られ、主要な祭祀には天皇が参殿し親しく拝礼される。それに対して剣と璽は、天皇の御座所近くに置かれ、一泊以上の行幸には侍従らが捧持することになった。
つまり、三種の神器は、元来皇祖神から子孫に授けられたという皇位のシンボルである。もっとも、およそ二千年程前の弥生時代には、各地の有力豪族(者)たちも持っていたが、やがて国内を統一する大王(天皇)のみが専有し、代々継承する王権=正統な皇位の証(あかし)となった。その上、やがて各々に意味が付与されている。たとえば中世の北畠親房は『神皇正統記』の中で、「鏡は正直の本源、玉は慈悲の本源、剣は知恵の本源」だから、皇位を継ぐ方はこの三徳を身に付け「わが国の道を弘め深くしたまふ」べきだと説いている。
神宮親拝に剣璽も御動座
このような由緒のある神鏡が祀られている伊勢の神宮には、式年遷宮の翌年、天皇・皇后両陛下が揃って親しく参拝(親拝)される、ということが戦後の昭和二十九年に始まった。しかも、次の昭和四十九年には、戦後中止されてきた「剣璽の御動座」が復活している。
あえて御動座とか渡御というのは、神器を単なる宝物でなく神格として敬うため、神器の剣璽が動かれるとか渡られると称することになっている。ただ、昭和六十四年一月七日朝、昭和天皇の崩御により皇太子が践祚された時は、かつての「剣璽渡御の儀」を「剣璽等承継の儀」と言い換えて行われた。
けれども、今回の式年遷宮にあたり、今年三月二十六日に行われた両陛下の神宮親拝には、「剣璽御動座」という本来の用語が、テレビでも新聞でも使われ、かなり詳しく報じられた。これによって、神宮と皇室、神器と天皇が不離一体であり、剣璽が宝物以上の神器であることが、一般の方々にも再認識されたとすれば、まことにありがたい。
連載:「日本のソフトパワー」(隔月刊『装道』掲載) / 所 功