「国民の祝日に関する法律」で定められる公的祝日は、現在年間十五日ある。これは世界各国のナショナル・ホリディが十日前後というのに比べて、かなり多い。
しかも、このたび新たに「山の日」と称する祝日が加わることになった(本日国会で成立。実施はカレンダーに印刷の都合で二年後から)。これについて民放などから意見を求められたので、その要旨をここに略記しておこう。
まず「山の日」を設けること自体は、山地が国土の八割以上も占める日本において有意義であろう。今回改正された祝日法では、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」と明文化されている。
この「山に親しむ機会」とは、単にレジャーやスポーツとして山登りを楽しむだけでなく、山の豊かな樹木・草花や鳥獣・昆虫などに出会い、山から流れ出る清らかな水に触れるような機会であろう。しかも、それを通して「山の恩恵に感謝する」気持をもつことは、祝日法に示される「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるため」という本義に叶っているといえよう。
しかし、それが何故に八月十一日なのか、理解し難い。与野党共同の国会議員連盟では、初め山開きの六月上旬とか、「海の日」に続く七月二十日前後などの案もあったが、結局お盆の連休を増やし易くするため、八月十一日に決めたようであるが、山の歴史や風習と何の関係もなく、無意味というほかない。
もしも山の神さま(山の上にいます木花咲耶姫→奥さま?)に感謝する日であれば、古来「山の講」が行われてきた二月か七月(所により十月か十二月)の吉日なら意味があろう。また従来祝日のなかった六月か八月に敢て入れるのであれば、すでに数年以上前から、広島県が「山の国」と定めた六月第一日曜とか、岐阜県や山梨県が「山の日」としてきた八月八日(「八」の字が山の形に似ているから)というのも、十一日よりはマシかもしれない。
ともあれ、ナショナル・ホリデーは、その国の文化や理念を表す。とりわけ各国を代表するザ・ナショナルデー(日本の場合「天皇誕生日」)は、その国の特徴(国柄・国体)を示すものである(拙著『国民の祝日の由来がわかる小事典』PHP新書など参照)。その一つが、こんな日付でよいのか、もっとしっかり考えてもらいたい。
(平成二十六年五月二十三日記)