花開く「京都の御大礼」特別展



所  功

 「念ずれば花開く」というのは、坂村真(しん)民(みん)(明治四十二年~平成八年)の著名な詩の一節である。夢を懐き念じながら力を尽くせば、やがて花開く。
 そう思える幸いな経験は、私にもある。そのひとつが、今秋九月に実現する「京都の御大礼―即位礼・大嘗祭と宮廷文化のみやび」特別展にほかならない。
京都の産業大学に三十一年勤めた私は、定年退職後も、京都のために何か役立つことができたらと想っている。時あたかも東日本大震災後、万一に備えて京都で首都機能を果たせるようにする必要がある、という一種の危機管理論が唱えられた。そして表向きには、京都府知事と京都市長のもとで「双京構想」の検討が始まり、その委員会に私も加えられ、議論を重ねてきた。
 しかし、今さら「双京」と言うまでもなく、京都は東京と共に「ミヤコ」(皇宮(みや)のある処(こ))なのだ。約一五〇年前の明治二年(一八六九)、天皇が東幸され、皇居のある東京が事実上の「首都」となった。けれども、京都で生まれ育たれた天皇の叡慮により、明治二十二年(一八八九)勅定の「皇室典範」に、皇位継承の最も重要な「即位礼及び大嘗祭は、京都に於て之を行ふ」と明示されたのである。
 そのおかげで、大正四年(一九一五)と昭和三年(一九二八)の即位礼・大嘗祭および大饗(あわせて大礼とも大典ともいう)は京都で行われ、京都御所は「京都皇宮」と公称されることになった。これで京都はミヤコの機能を回復し、今に至っている。
 ところが、その事実は、京都の人々にすら殆ど理解されていない。そこで、大正大礼から百年目の四年前、展覧会を開けば、その意義が再認識されるかもしれないと思い付いた。その夢が、㈱井筒をはじめ官民の協力をえて実り始め、まず一昨年秋、京セラ美術館で「近世の宮廷文化展」、ついで昨年秋、明治神宮文化館で「明治の御大礼展」、さらに今秋、平安神宮の近くで「京都の御大礼」特別展を開催できるに至ったのである。
 ぜひ多くの方々にご来観いただきたい。

(『歴史研究』九月号 巻頭随想)

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