国会「与野党協議」初会合の或る報道寸評 所 功
「安定的な皇位継承などに関する与野党協議」が、昨日ようやく始まった。衆議院議長の公邸に両院正副議長と全与野党関係者が集まり、初回の総会が開かれたのである。
皇統男系男子論者の注目すべき見解
そのマスコミ報道中、「皇統男系男子」説の或る新聞(今朝五月十八日付)で注目すべきは、八木秀次氏の「歴史に学び、今国会で決着を」と題する見解である。
それによれば、「歴史に学んで過去に例のあるものを取り入れ、新しい例は設けないという姿勢で臨むことも大切だ」という。その「過去に例のあるもの」は、多様であるが、大宝令に明記され八名十代実在する男系女子の「女帝」も含まれるであろう。
とすれば、政府案の①「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持できる案」が成立すると、内親王も女王も皇位継承資格を公認されることになるのではないか。ただ、八木氏などは、その資格が「女系に拡大することはあってはならず」として、皇族女子当主の「夫も子も皇族としない」という無理な案を堅持していることに変わりはない。
そこで、この案が「今国会で決着」すれば、皇族男子に皇族女子も加えた継承順位を、典範原則の例外として検討する必要があろう。それは明治以来の「男系男子」に限定して「長系の長子」優先とするか、歴史上に多い当代と血縁の近い方を優先するかで異なる。
しかし、仮に男子優先としても、現状から想定すれば、二代先の悠仁親王の次の三位となるのは敬宮愛子内親王であろう(その先は悠仁親王が結婚されてから、男子か女子を儲けられるか御子を授からないかにより変わってくる)。
皇室・氏族の「祖先祭祀」の主務者
もうひとつは、先週(五月十一日)このHpで批判した「皇室の祀り主は男系男子でなければならない」という新田均氏の見解を再び取りあげ、同氏が「古代の感覚では、天皇の祭祀も父系以外は務まらないと考えられてきた」との見方を示した、と援用している。
しかし、同氏が論拠とする記紀の解釈として、到底通用しないと考えられる。そこで、念のため典拠の史料を添付し、あらためて簡単な説明と管見を略述しよう。
『日本書紀』崇神天皇紀によれば、即位六年目に、前年から国中で疫病が流行して多くの人々が亡くなったので「神祇」に謝することになった。そのため、まず従来「天皇の大殿の内に並び祭ってきた」皇室の祖先神「天照大神」を皇后所生の皇女「豊鍬入姫命」に托して「倭の笠縫邑に祭」り、「倭の大国霊」を側妃所生の「淳名城入姫命」に托したが、後者は「身体痩弱」のため祭ることができなかった。
そこで、翌七年、天皇が再び祈ったところ、「夢」に現れた「大物主神」から「もし吾が児大田田根子(おおたたねこ)を以て吾を祭らば、ただちに平ぎなん」と告げられ、その人を捜し出して「祭主」とされたことなどにより、疫病は終息したという。
つまり、天皇は皇祖神を祀りうるが、古くから大和を支配してきた三輪氏の奉ずる大物主神の祭祀には介入できないので、氏祖の大田田根子命を祭主とし、また「倭大国魂神」は倭国造の市磯長尾市を祭主として祀らしめた、という皇室祭祀と氏族祭祀の区別(祖先神は子孫が祀る原則、男女不問)を示す物語である。
なお、この命は『紀』によれば、大物主神と活玉依媛の間に生まれた。その媛は「陶津耳(すえつみみ)の女」とあり、その縁で命は母方の「陶邑(すえむら)」にいたとみられる(田中卓博士「大神神社の創祀」同著作集1所収)。
(令和六年五月十八日記)
資料 『日本書紀』(日本古典文學体系 校注 坂本太郎他)Epson_20240522153010