佐藤行雄さんとの出会いにより確信できたこと
所 功
四十四年前にソロモンを訪ねて
昨日(十月三十日)、靖國会館で全国ソロモン会の総会が開かれ、私も顧問の一人として出席した。そこへソロモン諸島国から特命大使の佐藤行雄さんが来て下さり、一年ぶりに再会できて、本当に嬉しかった。
佐藤さんのことは、このHpで「日本学の広場」49(昨年十月末掲載)に少し書いたが、現在七十九歳(昭和十三年七月、北鎌倉出身)。私はまもなく十二月で七十五歳になるから、ほぼ同世代の兄貴分である。この佐藤さんが、遙か南太平洋のソロモン諸島に住んで居られることを初めて知ったのは、今から四十四年前の昭和四十七年(一九七二)に遡る。
その正月、既に満三十歳の私は、満三十歳でソロモン諸島ニュージョージア島ムンダにおいて戦死した父(所久雄陸軍上等兵)の戦蹟を、何としても訪ねようと心に決め、手懸かりを探し始めた。すると、名古屋の足立英雄氏著『ソロモン諸島探査記』(双葉社)が見つかり、その足立さん(当時三十七歳)から紹介されたのが、ムンダに近いロビアナ島を治める大酋長の孫娘ローズ・マリアさんと結婚してギゾ島にいる佐藤さん(当時三十四歳)である。
当時イギリスの統治下にあったソロモンへ行くことは困難が多く、危険だとさえいわれていた。しかし、七月二十六日昼ころ、ニュージョージア島ムンダの飛行場に着くと、佐藤さんが現地の若者数名と笑顔で迎えて下さった。しかも、小休止中に、生還した戦友から聴いた激戦地(清水台)のラルな手書き地図を見せると、佐藤さんが直ちに行ってみようと言われ、海岸沿いに三㎞ほど歩き、清水の湧く池から小高い岡(清水台)へ登るため鬱蒼たるジャングルの道なき道(草むら)を進んで行った。
すると、先頭に立った現地の大男ミルトン氏が、裸足に触れた水筒・飯盒・鉄兜・歩兵銃・手榴弾などを次々と拾い上げて、後ろの佐藤さんから私へと手渡してくれられた。その中の飯盒の内蓋に、何と小さな字で「所」と刻されていることを発見されたのが、佐藤さんなのである。
そこで、翌朝そこへ行くと、既に現地の人々がきれいに草を刈り取り、美しいハイビスカスまで供えてあった。しかも、少し掘ってみたら大小の骨が出てきた。おそらく父の遺骨にちがいないと思って拾いあげ、ふと時計をみると、七月二十七日八時半、何と足かけ三十年前に父が「砲弾破片創」で戦死した、と広報にある命日の朝である。これは偶然か奇跡か。いや私にとっては、亡き父がここへ導いてくれた、と信ずるほかない。
佐藤さんと私の「運気」と「生気」
あれから今回まで、佐藤さんとは何度も会っている。昭和五十年春まで皇學館大学に勤めていた私は、来日された佐藤さんと伊勢の神宮に正式参拝し、学生たちに講演をして頂いた。また平成に入ってから、日本遺族会の企画で遺児有志が父の戦地を慰霊巡拝する機会に、ソロモンを再訪して佐藤さんやムンダの人々の世話になった。さらに佐藤さんが独立したソロモン共和国に帰化され、やがて平成十三年(二〇〇一)みんなに推されて国会議員に選ばれ、ついでソロモン諸島の特命大使になられたころ、来日の機会にNHKのラジオ深夜便で波瀾万丈のライフヒストリーを話してもらったことなどがある。
しかも、近年は全国ソロモン会の総会に、ほとんど毎回お越し下さり、同会顧問として講演に近いスピーチを賜っている。とくに今回のそれは、専ら私との交流について、率直な思いを語られた。
そのひとつは、四十四年前にジャングルの中で飯盒を手にしたり遺骨を目にした時、こんなことがどうしてありうるのだろう、と不思議でならず、長らく疑問としてこられた。しかし、十年程前に佐藤さん自身、大病で手術をされた際、ある達人から、すべての人間には「運気」と「生気」があって、その両方が充実し発揮できる時は、「元気」なだけでなく、「霊気」を呼んで思いがけない良い事もできやすい。しかし、その反対に、両者が衰微し作用しない時は、「病気」になるだけでなく、「邪気」を呼んで思いがけない悪い事もおきやすい、と教えられて漸く納得することができたという。
そこで、振り返ってみると、佐藤さんがソロモンへ辿り着いて、素晴らしいローズ・マリアさんに出会えたのも、所がソロモンまで訪ね来て、お父さんの遺品・遺骨に出会えたのも、幸い「運気」と「生気」が高度に充実し発揮された時だったからであろう。その意味で二人とも、このソロモンにおいて新しい人生を拓くことができたように思われる、としみじみ話された。
なるほど、まさにその通りであろう。私の場合、それまでは、目に見え、耳に聴こえるものしか実在しないと思いがちであったが、あれからは、目に見えない耳に聴こえないものが存在することを実感し、とくに父のような英霊とか祖霊が、私どもを常に見守って(あるいは見張って)いると確信するに至った。
そのおかげで、私は何より自分に正直でありたいと願い、人から何と言われ何と思われようとも、また人から理解されず評価されなくても、父が(今では母も)私の考えや行いをよく判ってくれているはずだ、と心から思えるようになり、不思議なほど大きな力を出すことができるようになった。生き方はそれぞれ異なるが、佐藤さんもおそらく同じ思いであろう。
三笠宮崇仁親王殿下への表敬
なお、昨日は朝早く小田原の自宅を出て、午前九時に赤坂御用地の三笠宮本邸へ参上し、崇仁親王殿下(百歳十ヶ月)追悼の記帳をさせて頂いた。殿下には、昭和六十三年(1988)『図説 天皇の御即礼と大嘗祭』(新人物往来社)編集の際、玉稿と共に御高著『古代エジプトの神々』(NHK出版)を頂戴したことがある。また、平成十三年十二月、京都で開かれた古代学協会(理事長角田文衛博士)創立五十年記念講演会で親しく御言葉を賜った。かつて紀元節問題では、全く見解を異にしたが、学究としての真摯な七十余年の歩みには敬服するほかない。
※写真:全国ソロモン会総会で佐藤行雄さんと記念撮影
(撮影:全国ソロモン会事務局広報委員 笹 幸恵 様)
(平成二十八年十月三十一日記)
所 功 様
世の中には 不思議な事もあるものだと、感動と感激を持って
今朝の日本經濟新聞朝刊「交遊抄」を拝讀。
もっと詳しい事を知りたいと檢索して、ヒット。
御尊父は「陸軍上等兵」とあるので キリンバンガラからニュー・ジョージア島
バイコロに舟艇機動を掛けた 歩兵第十三聯隊の所属でせうか?
なれば 熊本縣のご出身?