九十歳代の上皇・上皇后両陛下に学ぶ
京都産業大学名誉教授 所 功
この十月二十日、上皇后美智子さまは、満九十の寿を迎えられた。半月前(六日)に仙洞御所で転び右大腿骨が折れ手術を受けられたが、順調に回復されリハビリに励んでおられると伝えられる。どうか一日も早く全快されることを念じてやまない。
上皇と上皇后の両陛下は、昭和三十四年(一九五九)四月にご成婚以来六十五年、お互いを心から信頼し尊敬しながら、重要なお務めを果たし続けて来られた。それは昭和の皇太子期、平成の御在位中だけでなく、令和の現在も変わりがない。
昭和八年・九年(一九三三・四)生まれの両陛下は、七十歳代に入る平成十五年(二〇〇三)ころから少し健康に不安を覚え、特に天皇陛下は同二十四年(二〇一二)冠動脈のバイパス手術を受けられた。そこで、将来の在り方を熟慮され、二つの重大な決意をしておられる。
将来を熟慮された両陛下のご英断
その一つは、超高齢化に伴い「象徴天皇」の務めを存分に行い難くなることを見据え、お元気なうちに壮年の皇太子殿下への「譲位」をすべきだと考えられ、そのご意向を宮内庁の参与会で強く示されたことである。この譲位(生前退位)は、約二百年前の光格天皇以来その例が無く、明治・昭和の「皇室典範」にも規定されていない。そこで、これを可能にする法的措置を要し、ようやく五年後に「特例法」が制定された。そこで二年後(二〇一九)の四月末日、満八十五歳で譲位を達成されえたのである。
もう一つは、避け難い万一に備えて、葬法と陵墓の在り方を宮内庁の関係者に検討せしめられた。そして満八十歳間近い同二十五年(二〇一三)十一月、結論を公表された。その要点は、幕末の孝明天皇から復活し、昭和天皇・香淳皇后まで行われてきた土葬方法を改め、既に民間で一般化している火葬方式とすること、また両陛下の山稜も、従来のように別々とするのを改め、並べて少し簡素な形で造営するようにされたことである。
この重い課題は、政府も国会も一般国民も、議論したり提言することを憚ってきた。それゆえ、両陛下がご自身の問題として検討し改革策を作り出されたのである。その賢明なご深慮には恐懼するほかない。
御譲位後にふさわしい両陛下のご日常
満五年余り前に譲位された上皇・上皇后両陛下のご動静は、マスコミに節目などの特集以外あまり報じられない。それはかつて御譲位のご意向に反対の人々が懸念していた今上陛下との〝二重権威〟にならないよう、仙洞御所でもご静養先でも自重されているからであろう。
しかし、実は内々いろいろなことを日常的にしておられるという。たとえば、御所では懐かしい本(国民学校の教科書類も)を揃って音読しながら想い出を語り合われたりする。また、御苑を散策の途中、草花の名称を確かめたり、昆虫探しなどに熱心な孫の悠仁親王と立ち話をされることも少なくない。さらに都内近辺で催される旧知の方々や不遇な人々の展覧会・音楽会などに出かけられる。他にも上皇后陛下は、かつて余暇ができたらやりたいと言われた御庭畑での「真桑瓜」作りにも取り組まれているかもしれない。
これらを敢えて身近に考えてもみれば、後期高齢世代の私共にとって、日常生活で健康保持に努めながら、自分に(伴侶があれば共に)何ができるかを工夫する至高のお手本といえるのではなかろうか。少なくとも私は、毎朝必ず愛読書の数頁分を音読し、また介護を要する姉女房の傍で家事(調理・洗濯・掃除)を手伝うおかげで、幸い心身とも健康を保っている。 (令和六年十月二十一日記)