大正より昭和への御代替りから100年
(京都産業大学名誉教授) 所 功
数え100年前(1926)の十二月二十五日、大正天皇(49歳)が静養先の葉山御用邸で崩御され、皇太子(25歳)が直ちに践祚され、元号も「昭和」と改められた。
大正天皇はお誕生の時(明治十二年)からご病弱であったが、健康な九条節子嬢を妃に迎え、四皇子を儲けられた。そのご長男裕仁親王(同三十四年=1901年お誕生)は、健やかに成長され、大正十年(1911)十一月から、「摂政」に就任し、5年後に天皇となられたのである。
それから満62年と2週間のご在位を振り返ると、多様な難問に敢然と立ち向かってこられた。ここに、その晩年に詠まれた御製を四首し添付させて頂く。また、目下懸案の皇室問題に関する管見も併載した。あわせてご高覧たまわりたい。
※上の写真は大正十二年(1923)関東大震災後まもなく出された「国民精神作興詔書」の末尾と御署名である(国立公文書館公開データより)。
(令和七年十二月二十五日)

