第三十回「SYD沖縄遺骨収集ボランティア」に参加して



第三十回「SYD沖縄遺骨収集ボランティア」に参加して
所  功
はや正月も下旬。国内外とも大きく変化し始めているように感じられる。それが将来どうなるかは、容易に予測できないが、まずは当面する為すべきことに、精一杯とりくむほかない。

大阪・神戸・山口・福岡から沖縄へ
この数日間、多忙を極めた。二十日(金)午後、大阪の日本綿業倶楽部で、また夕方、中央電気倶楽部で講演。共に関心事は今上陛下の譲位問題である。翌二十一日(土)午後、神戸の湊川神社楠公会館で神戸木鶏クラブ(代表仁出川清司氏80歳)の新年会において山鹿素行著『中朝事実』の現代的意義に関する講話を務めた。
その夜、山口市に移動。翌二十二日(日)早朝、幕末(慶応元年四月七日)当地で亡くなった「美濃浪人」所郁太郎の墓(明治二年建立)に詣でた(郁太郎については拙著『日本歴史再考』講談社学術文庫などを参照されたい)。ついで午前中、モラロジアン対象に二講座。午後は一般の方々対象に一講座。いずれも象徴天皇の「お務め」について可能な限り具体的な説明をした。
さらに、福岡空港から最終便で那覇空港へ移動。ホテルに着いたらFAXが何通も届いており、そのゲラ校正で深夜に及ぶ。翌二十三日(月)朝七時、沖縄県青年会館に20日から宿泊の人々(ボランティア、県外各地から約三十名、全費用自弁で参加)とマイクロバスで糸満市の戦蹟へ向かう。午前中、二ヶ所で遺骨収集の作業に奉仕した。昼過ぎ神式と仏式の慰霊祭。夕方に青年会館へ戻り、記念式典(糸満市長、教育長など参列)と記念講演(小生担当「飯盒の遺書と遺骨収集の意義」)の後、琉球舞踊(沖縄芸術大学卒業生親子)などを拝見しながら懇親会。その間にも数件の電話取材があり、ホテルに何通もFAXが届き、再び深夜に及んだ。
翌二十四日(朝)家内からの起床のベルが鳴っても、なかなか起きられない。昨日の作業などで、かなり膝と腰が痛む。しかし、八時から大阪朝日放送のラジオ番組に電話で応答。九時からボランティアの有志立ちと沖縄県立博物館を見学(意外な文書の発見あり)。午後1時半すぎ那覇発、空から美しい富士山を見て、まもなく羽田に着く。帰途、品川で二件取材を受ける。(以上、機中メモ)

沖縄の人々と遺骨収集から学ぶこと
このたび沖縄に出かけたのは、親友の坂本大生氏(72歳)の主宰する「SYD(公益財団法人修養団)沖縄遺骨収集ボランティア」の第30回事業に参加するためである。おかげで心温かい沖縄の人々から、さまざまなことを教えられ、また誠心誠意奉仕した仲間たちから、いろいろなことを学ぶことができた。
私が初めて沖縄を訪ねたのは、今から50年前(25歳)の昭和42年8月である。男友達二人と本島を廻り伊江島にも渡った。とりわけ沖縄遺族連合会会長金城和信先生の御好意により、遺族青年部の方々と南部戦蹟の全慰霊碑を掃除しながら巡拝することができた。その際、点在するガマ(石灰岩洞窟)に入ると、戦没者の遺品も遺骨も大部分そのままになっている惨状を知り、驚愕と畏怖の念で何度も立ち竦(すく)んだ。
その衝撃と切ない思いを、当時伊勢青々塾で一緒に生活していた坂本大生君に話したところ、いたく共感してくれた。のみならず、そんな状況ならば何とか遺骨収集をしなけらばならないと思い立ち、やがて就職した修養団で教育部長として活躍中、沖縄県教育界の志ある方々に理解をえて、SYDでシルバーボランティアを募り、その夢を実現するに至った。
しかも、その事業は、昭和天皇の崩御と諒闇などにより一時途絶えたが、まもなく再開され、今年見事30回目を迎えたのである。その間、坂本代表は、二度も倒れて大手術をしたが、奇跡的に回復し、今回も諸準備の雑務から現地の全行事まで、有能な同志数名の協力をえて成し遂げた。この純粋な真心と抜群の実行力には、全く敬服するほかない。
この事業には、十二年前(63歳)の平成十二年二月、遅ればせながら初めて参加した。その時も今回も、現地のボランティア(十数名)、とくに三十回皆出席の大城藤六先生(87歳)などから、七十二年前の沖縄戦について実情を聴くことができた。たとえば、沖縄の激戦は六月二十三日に終わったと一般に言われているが、通信手段の壊滅した当時、八月十五日過ぎてもガマに隠れて戦い続けるほかなかった由である。
こうして戦死した軍人・民間人は二十万以上にのぼる。その遺骨は、およそ半分近く地下に埋もれている。今回は糸満市にある山水の塔と南北の塔あたりでガマに潜り、泥土の中、岩盤の隙間などから遺骨を数十柱探し出したが、まだまだ多く残っているにちがいない。
この坂本代表による収集事業は、ここで一段落する。しかし幸い、今回参加したSYDの幹部も若いスタッフも、またモラロジー研究所から志願して参加した二人の専攻塾生も、あらためて何らかの形で継承したい、という決意を表明してくれたことは、まことに心強い。私も及ばずながら応援を続けていきたい。

(平成二十九年一月二十五日記)

〈付 記〉沖縄滞在中の二十三日、政府の有識者会議から論点整理を公表した。それに関する電話取材が収集作業の休憩時間にも相次ぎ、当惑しながら重要な局面にて可能な限り応対した。そのうち最も詳しく扱ったのは、読売新聞の二十四日朝刊「論点スペシャル」(古川隆久氏と八木秀次氏と私)である。
なお、二十六日(木)産経デジタルのIRONNAに「高齢譲位の特措法から典範改正へ」掲載予定。また二十八日(土)朝、大阪ABC「正義のミカタ」に出演予定。さらに二月三日発売の『SAPIO』特集「今上陛下〝譲位後〟の新皇室像」図解に協力した。                      (二十六日朝)

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