(2)吉田松陰のイトコ論に学ぶ



近年、少子高齢化に伴い、また大震災にも見舞われて「家族の絆」を取り戻すことが大切だ、という声が高まっている。確かに私もそれを痛感するが、その場合、家族(親族)とは誰をさすのだろうか。

現行の民法(第四編 親族)によれば、「親族」には「六親等内の血族」と「配偶者」と「三親等内の姻族」を含む(七二五条)。しかも「直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない」(七三〇条)と定められている。

とはいえ、戦後の経済成長期ころから核家族化が進み、成人すれば子供も別居し、残るは夫婦か独居というケースがふえている。従って、今や同居していない血族や姻族との絆を保つことは、必ずしも容易でない。

そんな折から、先般(二月十七日)モラロジー研究所の生涯学習センター公開講演会で、「吉田松陰の志とその家族」について管見を話した。これは一昨年秋、京都産大卒業生の小林正史夫妻から萩市のロータリークラブ三十周年に招かれた際、松陰の全集を読み返し遺族を訪ね歩いて、感じたことが背景にある。

そこで、特に取り上げたのが、安政元年(一八五四)十二月三日、萩の野山獄に囚われの身の松陰(25歳)から、児玉家に嫁いだ妹の千代(23歳)に宛てた長い書翰である。この中で松陰は、生家の杉家「父母様やあに様」をはじめ、養家の吉田家や伯父の玉木家だけでなく、妹の嫁いだ先の「おぢさま」「おばさま」にまで心を配り、「御老人は家の重宝と申すもの」にて「御孝養を尽し候へ」と諭している。

しかも重要なのは、より具体的に「杉の家法」を詳しく述べ、とりわけ「世の及びがたき美事」として、「第一には先祖を尊び給ひ、第二に神明を崇め給ひ、第三に親族を睦じく給ひ、第四に文学(学問)を好み給ひ、第五に(俗流)仏教に惑ひ給はず、第六に田畠の事を親(みずか)らし給ふの類」をあげ、「これらの事・・・皆々よく心懸け候へ。これ則ち孝行と申すものなり。」と結んでいる。

このうち、第三の親族が仲良くする事の大切さについて、次のごとく述べている。それは、今の私にとって殊に切実である。おそらく似た状況の方も少なくないと思われるから、参考に原文の一部を抄出しておこう。

親族を睦じくする事大切なり。是れも大てい人の心得たる事なり。併し従兄弟と申すもの、兄弟へさし続いて親しむべき事なり。然るに世の中、従兄弟となれば甚だ疎きものおほし。能々(よくよく)考へて見るべし。吾が従兄弟と申すは、父母の侄なり、祖父母よりみれば同じく孫なり。さすれば父母・祖父母の心になりて見れば、従兄弟をば決してうとくはならぬなり。併しながら、従兄弟のうときと申すべすは、元来、父母・祖父母の教の行きとどかぬなり。子を教ふるもの、心得べきなり。およそ人の力と思ふものは、兄弟に過ぎたるはなし。もし不幸にして兄弟なきものは従兄弟にしくはなし。従兄弟・兄弟は、年齢も互に似寄りて、もの学びしては師匠の教を受けし事をさらへ(復習し)、事を相談しては父母の命をそむかぬごとく計らふ、皆他人にてとどく事にあらず。此の処を能く考ふべき事なり。

ちなみに、今度このHPを立ち上げてくれた従兄弟の橋本秀雄(65歳)は、私(71歳)の母の妹の長男である。私は一人っ子だが、イトコ(従兄弟姉妹)として、父方・母方あわせると十五名(男六、女九)おり、既に三名(男二、女一)他界したが、残る十二名は皆元気で心強い。

そのうち、秀雄は理系で上戸(じょうご)、私は文系で下戸(げこ)だが、同じく大垣北高において稲川誠一先生に教えを受け、同じ教職の道を歩んできた。定年後も今のところ幸い健康に恵まれているので、互いに助けあいながら、汗青会の有志たちと共に、これを続けていきたいと念じている。

(平成25年3月15日)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)