(35)「品性」とはhabitus・凛々しさの表れか



新年度を迎えて、70歳代に入った年寄りでも心が浮き立つ。

4月1日、定年後奉職して満3年になった柏市のモラロジー研究所へ早朝出勤。東海道線・常磐線沿いの桜も、廣池学園キャンパスの桜も、帰途ちょっと立ち寄った上野公園の桜も、今を盛りに咲き映えており、まさに“日本の春”を満喫させてもらった。

柏では、午前中に大講堂で廣池幹堂理事長から、新年度に臨む基本方針の説明があり、麗澤大学の原点をなす「道徳科学専攻塾」が昭和10年(1935)4月に開設されてから今年で満80年、また学祖廣池千九郎博士が慶応2年(1866)3月に誕生されてから来年150年を迎える心構えなどを示された。

午後の現代倫理道徳研究会では、宮下和大研究員から「廣池千九郎の品性論」に関する口頭発表があり、続いて伊東俊太郎・服部英二両先生をはじめ、多彩なメンバーとレベルの高い活発な質疑応答が行われた。

その中で、「品性」とか「品格」という用語は、漢籍にほとんど見当たらないこと、明治の初め中村正直が『西国立志篇』(英スマイルズ著 Self Helpの翻訳)の中でcharacterの訳語に用いていること、大正の終りに内村鑑三が「成功の秘訣」として「人生の目的は品性を完成するにあり」と説いていること、ただ「品位」は中国でも日本でも古くから用例があり、明治の『哲学字彙』ではdignityの訳語として充てられていること、そのいずれも内在的な徳性が継続的に蓄積された人間力(アリストテレスのいうヘクシス→habitus)の表れといってよいのではないか、などの指摘があり、ではこれにあたる大和言葉は何か考えさせられた。いつも知的刺激の多い研究会である。

二日は、小田原の自宅で締切間近の原稿を書き始めたところ、勉誠出版社から『国史』の見本が届いた。これは白鳥庫吉博士が、大正三年(1914)から7年間「東宮御学問所」で歴史担当の御用掛を務めるにあたり、自ら執筆された大判の『国史』全5巻の縮写合冊本である。私の詳しい「解説」と「補論」および人名索引を加えて800頁近い。

この日本通史には、神代の物語を初め、神武天皇から明治天皇に至る歴代の「聖徳」と各時代の主要な出来事が簡潔明快にまとめられている。その巻頭に学習院初等科以来とくに歴史を好まれた少年皇太子裕仁親王の満13歳(御学問所入学時)の御写真を掲げたが、まさに凛とした御姿に比類ない品位がよく表れている。

翌3日午後、娘家族と小田原城周辺の花見に出かけた。そして私共夫妻の47回目になる結婚記念日祝いと、高校一年と中学一年になった孫娘の進学祝いも兼ねての会食をしたが、毎日忙しい婿殿とゆっくり雑談できる好機ともなった。

ついで4日は、再び柏の研究所へ出てモラロジー専攻塾の入塾式に参列した。この塾は、学校法人麗澤大学とは別に、ほぼ大学院クラスの有志を毎年数名選抜して、2年間特別教育(寮生活)するところで、平成の初めに再興され、今春有能な第25期生6名を迎えた。

この入塾式で来賓祝辞を求められた。そこで、私も名古屋の大学院(修士)2年間と皇學館大学(助手)の2年間、田中卓博士の開設された「伊勢青々塾」に入れて頂き、数名の大学生たちと寝食を共にしながら切磋琢磨したこと、その間は毎朝、先哲の遺文を朗唱し、就寝前に日記を書きながら当日の言動を反省したこと、またお世話になったり迷惑をかけた方には即日葉書か手紙を出すよう努めたこと、それらが以後の人生に極めて大きな意味を持っていること、などを手短に話して参考に供した。

そして、ふと塾生たちを見たところ、上級生も新入生も正に真剣な面持で聴いていることに気付いた。

それは一般の学生にあまり見られなくなった凛々しさである。しかも、このような「凛々しさ」(引き締った爽やかな美しさ)こそ、望ましい品性(品格・品位)の表れといってよいのではないか、さらにそれを「知仁勇」の三徳として最高度に鍛錬するのが日本的な帝王学ではないかと思われる。

(四月四日記)

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