(63)神武天皇の御陵と宮中における式年祭



きのう四月三日、神武天皇の二千六百年式年祭が執り行われた。その様子は、昨日来テレビでも新聞でも報じられているが、私も先般来いくつかの取材を受け、あらためて式年祭のもつ意義を学ぶことができた。

百年前の式年祭における御製漢詩
その一つは、日本テレビで四月十六日朝に放映予定の「皇室日記」スタッフから、百年前の大正五年(一九一六)四月三日、大正天皇(36歳)が貞明皇后(31歳)と共に、奈良県橿原市畝傍(うねび)の神武天皇陵へ親謁(しんえつ、祖先に親しく拝謁)された時の御製について説明を求められた。

そこで、昨年全面公開された『大正天皇実録』の当該条を見ると、確かに「謁畝傍陵」と題する漢詩(七言絶句)が載っている。しかし、既刊の木下彪氏『大正天皇御製詩集謹解』(昭和35年、明徳出版社)にも西川泰彦氏『大正天皇御製詩拝読』(平成十八年、錦正社)にも収められる漢詩の題は「恭謁畝傍陵」とあり、一句・二句・四句は各一字、三句は七字すべて異る。

つまり『実録』は親謁時に詠まれた表現のまゝを採り、その後自ら手直しされたものが『謹解』『拝読』(依拠本は宮内省蔵版)に入っているとみられる。

それを私流に読み下し、仮の訳を試みれば、左の通りである。

一句「松柏、山を囲みて緑鬱然(うつぜん)たり」
※松や柏が山陵を囲んで緑深く茂っており
二句「白雲揺曳(ようえい)す寝陵の前」
※神武天皇の御霊(みたま)が鎮(しず)まる陵のあたりには白い雲が棚びいている。
三句「基(もとい)を肇(はじ)め統を垂る天業を仰ぐ」
※初代の天皇となって皇室の基を初め、それを子孫に伝えられた御事績を仰ぐと、
四句「緬邈(めんばく)たり二千五百年」
※遠く遥かな二千五百年の歴史が偲ばれる

申すまでもなく、前二句で御陵近辺の情景を的確に描写され、後二句で神武天皇が皇室(天皇)の基を立てられ、皇統が長らく今に至るまで続けられてきた「天業」敬仰の感慨を見事に表現されている。

尚、大正天皇は、歴代でも珍しく漢詩を得意とされ、十代中程から三十代中程までに詠まれたものが一三六七首現存する。同時に和歌も好まれ、六八九首現存し、そのうち二五一首が『大正天皇御製歌集』(昭和24年刊)に収められている。ただ、その中にこの時の和歌は見あたらない。

今上天皇は御陵へ 皇太子殿下は宮中で
百年前の式年祭では、皇太子裕仁親王(満15歳直前)が未成年のため(天皇と皇太子は満18歳で成年)、宮中の皇霊殿における祭儀は、伏見宮貞愛親王(57歳)が奉仕され、同妃利子女王不在のため東伏見宮依仁親王妃周子(岩倉具定の娘)が同行している。

それに対して、今回の式年祭では、先帝(昭和天皇)の式年祭(平成六年の五年祭・十一年の十年祭・二十一年の二十年祭)と同様、天皇・皇后両陛下が御陵に参向され、皇霊殿における祭儀は、皇太子・同妃両殿下が奉仕された。陵所の両陛下は洋装であられたが、皇霊殿では皇太子殿下が黄丹袍、同妃殿下がいわゆる十二単で臨んでおられる。

尚、今回の件につき、先日ある週刊誌から電話取材を受け、記者の作成した私のコメント要約を送信してきた。これは通例ごく一部しか掲載されないから、ご参考までに全文を以下に転載しておこう。

 

「昭和天皇の式年祭にも、天皇陛下は八王子の武蔵陵墓地へ出向かれ、皇太子殿下が皇居の皇霊殿で拝礼されたことがあります。今回も同様の役割分担をされたのだと思います。

お墓である御陵とみ霊の祀られている皇霊殿は、両方とも重要な祭祀の場所ですから、天皇陛下が御陵で、皇位継承者の皇太子殿下が皇霊殿で拝礼されます。

両陛下の行幸啓に、他の皇族方が同行されることはあまりありませんが、今回、秋篠宮ご夫妻が同行されるのは、初代天皇への格別な思いがあるのかもしれません。

皇居の式年祭(一定年数ごとの慰霊祭)は、明治41(1908)年に定められた『皇室祭祀令』に準じた儀式を行うことになります。

皇太子さまは、宮中三殿の奥にある綾綺殿(りょうきでん)で着替えなどをした後、廊下伝いに三殿のひとつである皇霊殿へ移動して内陣に進み、拝礼してから、神武天皇への御告文(おつげぶみ)を読まれます。

ついで皇太子妃の雅子さまが皇霊殿の内陣に進み、拝礼をされますが、その時間は短く、賢所や神殿での拝礼もないので、それほど負担感はないと思われます。

ただ雅子さまの場合、古式の髪型や装束の準備に相当なご苦労があるといわれています。十二単の重い装束をお召しになりますが、それ以上に大垂髪(おすべらかし)と呼ばれる髪型は、匂いの強い油で髪を整えるのに、かなり長い時間を要するといわれています。

療養中の雅子さまにとっては、負担となるかもしれません。他の皇族方は、基本的に洋装ですし、皇霊殿の階段の下から拝礼されるだけでして、皇太子ご夫妻とは大きな違いがあります。

敬宮(としのみや)愛子さまや悠仁さまのような未成年の皇族方は、祭祀に参加しませんが、御慎(おんつつしみ)といって、お住まいで静かに過ごし、おそらく遥拝されることでしょう。

皇太子ご夫妻も、今年は10月に京都府の南部で開催される『育樹祭』に出られる予定ですから、そのような機会に神武天皇陵を参拝されるかもしれませんね」

(HPかんせいPLAZA 四月四日 所功 記)

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