歴史研究会名誉主幹 吉成勇さんとの想い出



歴史研究会名誉主幹 吉成勇さんとの想い出

                                京都産業大学名誉教授 所 功

 

「会うは別れの始め」(会者定離)かもしれない。とはいえ、一歳年上の吉成勇主幹は、50年近い前に初めて出会った時から、歴史が好きでたまらない同志であり、勝手に兄弟のような仲と思い、お互い元気で長生きでいるだろうと信じ込んできた。それだけに、突然の入院、手術につぐ急逝の悲報は、今なお素直に受け入れ難い。

私は、昭和40年代から勤め先の皇學館大学図書館で、『歴史読本』を愛読してきたが、同50年(1975)の春、文部省へ転出する直前『臨時増刊 歴史の名著100』に吉成さんから「帝王編年記」の執筆依頼を受けた。それを機に東京駅の近くで会うことが多くなり、やがて特集企画や執筆者選びの相談を受けたことも少なくない。

そのような関係は、京都産業大学へ勤務してからも、定年後に小田原へ移住してからも続き、その間に吉成黄門の“井筒助さん”(井筒清次氏)“佐藤角さん”(佐藤實氏)たちと共に、さまざまな『別冊歴史読本』などの編集を手伝った。

とりわけ吉成さんが主幹として長らく全力を注いできた「歴史研究会」の運営と、月刊『歴史研究』の編集には、老男男女の元気なスタッフの献身的な尽力があり、私も歴研大会(全国大会・京都大会)での講演や巻頭随筆の執筆を頼まれると、及ばずながら吉成先輩の役に立てればと思い、喜んでボランティアを続けてきた。

吉成主幹は不思議な魅力の持ち主であった。一見のんびりしていながら、実はしっかりと信念を貫き通す、柔軟で豪快な生き方をしてこられた。その根底には天性の真心が秘められ、歴史を本当の「道楽」(生きる楽しみ)として、同行者とみんなで共有したいとの情熱が溢れていたことに、あらためて敬服し感謝するしかない。

今後の『歴史研究』では、その基本理念を受け継ぐと共に、新しい工夫を加えながら永続してほしいと念じています。

ちなみに、吉成さんは平成19年(2007)7月、私の母が天寿を全うした時、わざわざ岐阜の拙宅まで訪ねてこられ、懇ろに慰め励ましてくださった。そんな心優しい先輩の御冥福を、あらためてお祈り申し上げます。(令和3年3月28日)(『歴史研究』令和3年8・9月合併号)

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