二度目の東京オリ・パラARIGATO
京都産業大学名誉教授 所 功
「東京オリンピック・パラリンピック2020」が、一年遅れながら、ほぼ見事に完遂されたことを、心から祝福したい。
周知の通り、古代オリンピックを近代的な国際競技大会として1984(明治27)年に再興した提唱者のP.クーベルタンは、「オリンピズム」について「自己を鍛錬して、祖国と民族と国旗の名誉をあげようとする」と共に、「お互いを助け合う心から発する競争心と、礼儀をわきまえながら烈しく闘う心をもたなければならない」と述べている(日本オリンピック委員会監修、日本オリンピック・アカデミー編『オリンピック事典』より要約)。
このようなオリンピックを開催するには、多大な人材(ひと)・設備(もの)・費用(かね)を要する。そのために、欧米先進国以外では困難と思われていたが、日本は早くから名乗りをあげ、1940(昭和15)年の東京開催が内定した。それは第二次世界大戦直前に一たん返上されたが、敗戦を経て講話独立達成から12年後の、昭和39年(1964)、見事に実現された。 あのアジアで初めての東京五輪は、戦後復興の成果であり、日本の国際的な評価を著しく高めた それから半世紀余り経て、東日本大震災からの「復興五輪」をスローガンに、再び東京でオリンピックとパラリンピックが実施されることになった。それがコロナ禍という深刻な災難に直面しながら、着々と準備を重ねた選手と関係者の懸命な努力により、「日本は不可能を可能にした」などと評価される成功をおさめたのである。
その選手たちが勝っても負けても様々な形で感謝を表し、オリンピックの開会式も「ARIGATO」の電光表示で締め括られた。この「ありがとう」は、深い意味を持つ。「有難い」とは、有る事が難しい(滅多にない)、当たり前でないことをいう。われわれがいまこのように在りうるのは、あらゆる存在から受ける恩恵にほかならない。
それを一層強く実感したのは、後半のパラリンピックである。この名称は提唱者L.グッドマン博士によれば、下半身麻痺(paraplegia)などの身体不自由な選手による競技大会であるが、今では健常者のオリンピックと並行する(parallel)の意味で用いられる。
しかも、それを既に前の東京大会から積極的に応援してこられたのが、当時の皇太子・同妃両殿下(現在の上皇上皇后両陛下)である。そのおかげで関心が高まり、みんなでともに支えあって生きる知恵を学びえたことに、あらためて感謝したい。(令和3年9月5日)(『歴史研究』令和3年10月号掲載)