内廷生まれの皇子女・皇孫の称号と御名



内廷生まれの皇子女・皇孫の称号と御名

                                京都産業大学名誉教授 所 功

 

ほとんどの日本人は、「氏」(家名)と「名」(個人名)の両方をもっている。それに対して皇室には家名のような「氏」がない。

日本の古代における氏や姓は、大和朝廷の大王(天皇)が、有力な豪族たちに賜ったものである。それを与える主体の皇室は、その皇統が一貫して続く唯一の格別な存在であるから、他の家々と区別するための氏を必要としない。

しかし、天皇にも各皇族にも「名」(実名)はある。しかも、宮家の子女は両親から名付けられるが、内廷の皇子・皇女と皇孫は時の天皇から命名され、「名」だけではなく、幼称の「宮号」(結婚までの称号。宮家名とは全く別)も賜る。これは皇室の中でも、本家にあたる「内廷」は、分家にあたる「宮家」より特に重いからである。

その天皇による「命名の儀」では、出典も公表される。たとえば、一昨年譲位された上皇陛下(継宮・明仁)と上皇后陛下(美智子)との間に生まれた二男一女は、祖父の昭和天皇から名前を賜っておられる。

すなわち、まず昭和35年(1960)2月23日生まれの今上陛下は「浩宮・徳仁」と命名された。その出典は『中庸』三十二章に「浩々たるその天‥‥聡明聖知にして天徳に達する者‥‥」とみえる。

ついで昭和40年11月30日生まれの秋篠宮殿下は、「礼宮・文仁」と命名された。その出典は『論語』十二篇に「博く文を学び‥‥礼を以てす」とみえる。

さらに、昭和44年4月18日に生まれ、平成17年(2005)に結婚された黒田清子様は、「紀宮・清子」と命名された。その出典は『万葉集』巻六の、神亀元年(724)、「紀伊国」行幸に随従した山部赤人の作歌「奥つ島 清き渚に風吹けば」から採られている。

それと同じく、平成13年(2001)12月1日に誕生された今上陛下の皇女(上皇陛下の皇孫)は、「敬宮・愛子」と命名された。その出典は『孟子』離婁篇下に「人を愛する者は人恒に之を愛し、人を敬する者は人恒に之を敬す」とみえる。

この「敬」をトシと訓むのは聡明俊敏(さとし)の義による。出典の文意は、みずから人を敬愛する者はのずから人より敬愛される、という教訓を含んでいる。その理念どおりに成長されてきた敬宮愛子内親王は、この12月1日で「成年」に達し、公務に出られることも多くなるにちがいない。

                             (『歴史研究』令和3年12月号掲載)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)