皇族の在り方を改める「特例法」管見
(京都産業大学名誉教授)所 功
変の至るや知るべからず
小田原で太平洋の水平線上に初日出を拝み、平穏に明けた元日の夕方、「令和六年能登半島地震」突発の悲報に驚嘆した。被災された方々に直接できることはないが、ささやかな義捐をさせて頂いた。
その際に想い出したのは、かつて学んだ吉田松陰の『武教全書講録』の一節である。
「行住座臥(日常の生活で)暫くも放心(油断)せば、則ち変(非常事態)に臨みて常(平常心)を失ふ。……変の至るや知るべからずと云ふは……最も謹厳(重要)な語なり。」
何事であれ、平生から心懸けて万一に備えておかなければならない、と正月早々あらためて気付かされたのである。
世襲天皇と成年皇族の役割
これは皇室の問題についても例外ではない。敗戦後GHQの占領下で作られた「日本国憲法」にすら、第一章に「天皇」を特設して、「天皇は日本国の象徴(元首)であり、日本国民統合の象徴(君主)」と位置づけるのみならず、「皇位は世襲」と明示し、国民のために為すべき「国事に関する行為」を具体的に列挙している。
その上、昭和・平成の天皇も今上陛下も、憲法の定める「国事行為」だけでなく、多種多様な「公的行為」も伝統的な「祭祀行為」も、誠心誠意お務めになって来られた。そのおかげで、政治や経済などが混迷しても、ほとんどの国民は、天皇(皇室)を心の拠り所として安心を保ちえたのではなかろうか。
このような「公的行為」「祭祀行為」は、もちろん天皇が中心に行われる。ただ、そこに皇后や成年の男女皇族も参列され、公務を分担されることが多々ある。それゆえ、皇室が十全の役割を果たされるには、皇位を世襲される天皇を中核として、内廷と各宮家の成年皇族が、相当(二十名以上)実在されてこそ可能になる。
皇族の増減を可能にする工夫
現行の「皇室典範」は、憲法の第二条に基づき「国会の議決」により定められた法律である。それゆえ、象徴世襲天皇制度を維持するためには、もし典範の規定で現実的に対応困難な部分が見出されたら、国会で議論し合意を形成して改正すればよい。
ただ、典範は特別な法律であるから、他の法令のごとく簡単に改正できない、と思い込まれてきた。ところが、皇室においても高齢化・少子化の進行を憂慮された平成の天皇が、典範に規定のない「譲位」(退位)の意向を慎重に表明されると、政府も国会も真剣に検討して、典範の本文は変更せず、「特例法」を作り「高齢退位」を可能にした。
従って、皇族の減少が著しい現在、それを早急に喰い止め、将来的に段々と増加するような方策を実現しようとすれば、典範の本文は据え置き、再び「特例法」で対応することが穏当だろうと思われる。
この点、明治以来の旧典範(勅定の根本法)すら、律令法(継嗣令)と異る永世皇族制を採用して宮家皇族が急増すると、典範の本文には手をつけず、臣籍降下を促す「増補」や五世以降を臣下とする「準則」を定めるような工夫をしている(添付記事参照)。
現在、それとは逆に皇族が過少になっているのであるから、一方で皇族女子が結婚後も皇族として宮家を立てられるようにすることも、他方で旧宮家の男子孫が現宮家へ養子として入り皇族となれるようにすることも、法的に可能であり現に必要な措置だと思われる。
女性宮家の夫と子孫の身分
ただ、この両案には若干の問題が含まれている。その一つは、皇族女子を当主とする宮家を立てる場合、結婚して皇室に入る一般男性を皇族とするか否かである。先般の有識者会議「報告書」では、皇族としない含みが盛り込まれている。
しかし、新宮家の中で、当主のみ皇族身分になり、同居の夫(婿)は一般の身分のまま、というは不自然であり、不適切といわざるをえない。その男性は、皇族の一員として妻君と共に公務に出られ、良識ある言動をされるであろうが、一般身分のままであれば、法的に「国民の権利」を行使できる自由があり、それを巧みに利用するような関係者が出てこないとは限らない。
従って、その伴侶は皇族の身分とすべきであり、皇族としての「品位の保持」に努め、公務に精励しなければならない。また、その間に生まれる子女も皇族となり、宮家を相続することならできるが、皇位の継承は原則的にできない(将来万々一の場合は再検討する)、ということを明文化しておけば、男系男子の継承を強調する人々にも理解がえられるであろう。
もう一つの問題は、旧宮家の男子孫を養子として皇族にすることが法的に可能だとしても、それにふさわしい人が得られるのかどうか。また、その養子先となる現宮家の方々に諒解が得られるのかどうか、具体化は容易でないと思われる。しかし、それは養子推進論者たちが知恵を絞って何とかされることを見守るほかない。
(令和六年正月六日稿)
添付資料 毎日新聞「考・皇室 深まる危機」(紙面 令和6年1月6日掲載)