教科書の憲法の記述に思う~憲法記念日を前に



「教科書の憲法の記述に思う~憲法記念日を前に」      橋本秀雄

憲法記念日が近づいている。憲法誕生の実状を知り、学校で指導されている内容見ると疑問がわいて、記念日を祝う気になれないばかりか、隘路にいる日本を思ってしまう。

この機会に改めて中学「公民」教科書の憲法に関する章(第2章「個人の尊重と日本国憲法」)を読み直してみた。教科書は平成二十八年版と令和三年版で、いずれも県下(岐阜)全域で採用されているものである。

第2章の節は両者とも同じで、1節「人権と日本国憲法」、2節「人権と共生社会」、3節「これからの人権保障」となっている。その下の項目は2・3節がほぼ同じだが、1節はほとんどが変えてあった。

日本国憲法は、GHQの草案を基にしているが、政府が改訂案を作成し、帝国議会で審議されているから自主憲法であるとの解釈である。

第2章は9割が「人権」の説明

人には「自らの意思に従って自由で豊かに生きる」権利があり、それは「法律によってもおかすことができない」として、憲法に記述のある権利を自由権、社会権、平等権と分類し、詳しく解説している。特に平等権は部落差別・アイヌ民族への差別、在日韓国・朝鮮人への差別・男女の平等・障害者差別などが存在しており改善が必要としている。

自由と権利には、責任と義務が伴うが、その説明は全体の1割程度である。「責任」にふれている所は「国民主権」の項で、主権は国民にあるが、国の政治は国民全体で決定されていかなくてはならず、選挙に投票すること、政治に関心をもって考えを深めることは大切としている。

また、2節の最後に、義務が出てくる。人権は「法律によってもおかされない」権利だが、「公共の福祉」に反してはいけない、と歯止めをし併せて義務を扱っている。普通教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務だが、数行程度である。

そうした扱いのアンバランスに疑問を感じる生徒もいるだろうと考えたのか、憲法に義務の記述が少ないのは、そもそも憲法は国民の権利を保障するためのものだからと付け加えている。

第一章「天皇」の説明が不十分

第一章は国の姿を表す大切な章である。しかし、教科書には第一章が天皇条項である理由も、国柄を示すという説明もされていない。

天皇は主権者ではなく、日本の国と国民全体の「象徴」で、その地位は主権者である国民全体の意思に基づくと定めてあるとしているが、主権者でない天皇が、なぜ最初の条項にくるのかの説明がないのである。

項の表題も、二十八年版は、「国民主権と天皇の地位」としていたが、三年版では「国民主権と私たちの責任」と変えていて、「天皇の地位」を外したのは、説明が不十分と自ら認めているのでは、と思ってしまう。

天皇の存在は、歴史分野でも国の誕生の説明に欠かせないが、国を拓いた大和政権の中心になったのは王としか書かれていない。天皇の初出は推古天皇で摂政の聖徳太子の治世に付属した存在でしか記述されてない。つまり、現行の社会科では天皇は日本にとって欠くことのできないご存在であることは全く説明されていないと言ってよい。

現実と乖離した「平和主義」

日本国憲法の特色である平和主義は、第二次大戦で我が国が内外に重大な被害をもたらしたので、憲法で戦争の放棄を掲げたとしている。

自衛隊に関しては、政府見解の主権国家には自衛権があり、自衛のための最小限の実力を持つことまでは禁止していないと説明しながら、一方で9条に反するという意見もあると加えて、含みを持たせている。

人権の説明では、社会の変化に伴う新しい人権として、環境権、知る権利、プライバシーの権利などに多くの頁をさいていた。しかし、国の安全保障の所では、近年の中国による尖閣諸島への領海的野心や、北朝鮮による核・ミサイル問題などは社会の変化ではないのか、「平和主義」の所で少しも触れられていない。

以上、結局問題は憲法自身にあるのだが、憲法を読み進めると、最後の方に第99条があって、天皇を始め公務員に至るまで、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めてあった。これに従えば、改正派ばかりか護憲派であっても、慎重にならざるを得ないため、教科書のような記述になるのかとも思った。今その立場にある方々は、複雑な思いで記念日を迎えられるのではないだろうか。

(『ぎふの教育』第208号、巻頭言、令和六年四月二十三日記)

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