不可解な「皇室の祀り主は男系男子」論



不可解な「皇室の祀り主は男系男子」論
京都産業大学名誉教授 所  功
現行憲法の第一章に定められる「天皇」は、日本国と国民統合の「象徴」であり、しかも、「皇位は世襲」とされている。
その「象徴としてのお務め」は、大別すれば、イ、憲法に明示される「国事行為」、ロ、象徴に相応しい「公的行為」、ハ、伝統的な「宮中祭祀」から成る。

「宮中祭祀」とは天皇が主催、皇族も参列
このハについて、宮内庁の公式ホームページに「天皇皇后両陛下は、宮中の祭祀を大切に受け継がれ、常に国民の幸せを祈っておられ、年間二十件近くの祭祀行われています。皇族方も宮中祭祀を大切になさっています」と説明されている。
その祭祀が行われる「宮中三殿」のうち「賢所」には「皇祖天照大神が」、「皇霊殿」には「歴代天皇・皇族の御霊が」、「神殿」には「国中の神々が」、各々祀られている。
この祭祀は、天皇が主催して天皇のお手もと金「内廷費」により、「掌典」と未婚女性の「内掌典」の補佐をえて行われる(年間の「主要祭儀一覧」は別掲)。そのうち「大祭」は「天皇陛下ご自身で祭典を行われ、(神々への)御告文を奏上され」、「小祭」は「掌典長が祭典を行い、天皇陛下がご拝礼になり」、大祭には皇后と皇嗣・同妃が、小祭には皇嗣が、各々昇殿拝礼(他の成年皇族男女は三殿の階下から拝礼)される。

「神道学者」新田均教授の皇室祭祀論
このような宮中祭祀に関して、皇學館大学の新田均教授(「神道学」の博士号をもつ)により書かれた評論を拝見し、ビックリ仰天した。
それは、日本会議の会誌『日本の息吹』本年三月号に掲載されており、「皇室の祀り主は男系男子でなければならない」という太字のタイトルが目立つ。しかし、これは失当だと思い再考を求めるため、直ちに同誌編集部あて短評を送ったが、何の音沙汰もない。
同氏によれば、「祖先を祀る祭り主の地位は・・・父系でしか継承できない、というのが古代の観念だった」から、現行の皇室典範にも「皇位継承が皇統に属する男系(「男子」の二字脱か)に限定されている」のだという。
しかも、「この原則を表している物語」として、『日本書記』の要旨を引き、崇神天皇時代に災害を鎮めるため「天皇御自身が祭祀を執り行ったが一向に効き目がなかった」ので、「大物主神」の子孫である「大田田根子に祀らせ」たら災害が収まったという。
これは、九州から東征してこられた神武天皇より十代目(三世紀前半ころ)の崇神天皇(大王)が、元来大和に勢力を張っていた三輪氏の奉ずる大物主神に災厄の鎮静を、大王の祖神に祈っても通じなかったので、大神の子孫である大田田根子に託したところ効験をえた、という皇室祭祀と氏族祭祀の違いを示す逸話である。
ところが新田氏は、ここから飛躍して「たとえ天皇が祈っても父系でつながっていなければ祭祀は通じない。だからこそ、皇祖の祭り主は皇統に属する男系の男子でなければならない」と結論づけている。残念ながら、牽強付会といわざるをえない。

「皇祖神」の「祀り主」は皇統の天皇
ところが、新田氏は『産経新聞』五月六日付「正論」欄で、「男系による皇位継承の真の意義」と題する評論で、右と同じ話を持ち出し、「祭祀が神に通じるためには、祭り主は男系で継がれていなければならず・・・」と繰り返す。
ただ、ここには「男系男子でなければならない」とまでは言っていない。賢明な同氏は、「世界日報クラブ」の講演記録「皇統を考える」(令和三年十二月、ネット公開)において「祭り主の地位は父系でしか受け継げない」が、「女性でも自分の父系の祖先神は祭ることができるので、女性天皇が歴代で八人いらっしゃった」と、断っている。
しかし、その本音が「祀り主は男系男子でなければならない」というのであれば、八名の女性天皇は不当な存在であり、在位中に行われた祭祀は無意味だったことになろう。また、天皇から委任されて伊勢神宮の祭祀に奉仕してきた倭姫命(崇神天皇の皇女)以来の「斎王」も、戦後の「祭主(現在元皇女清子様)も、不当・無意味になってしまう。
それにも拘わらず、新田均氏が「男系男子」に敢えて固執するのは何故だろうか。ちなみに『日大法学』〈八十二巻三号(平成二十八年十二月)〉に掲載された論説「新旧皇室典範における〝皇統〟の意味について」(ネット公開)の末尾で、「皇學館大学名誉教授・田中卓氏」との論争に触れている。
その要約によれば、田中氏は「皇祖神の天照大神が『吾が子孫の王たるべき地』と神勅されている通り・・・・天照大神を〝皇統〟の起点とすれば、〝皇統〟には女系も含まれる」ことになる。しかし、新田氏の解釈では、「天照大神は、イザナギノミコトを父とする男系の女神で・・・神統譜を男系継承の起点から見れば〝イザナギ→スサノオ→アメノオシホミミ〟という流れになる」から、「神武天皇の歴代天皇の皇位継承についての歴史記述が男系に拘わったものになっている」のだという。理非優劣は明らかであろう。

一統の天皇は氏姓無用、臣民に氏姓を賜与
前に引いたとおり、新田氏は「正論」の中で、「古代の東アジアでは・・・男系のことを〝氏〟といい、各氏を区別するための名称を〝姓〟といった。・・・これは古代の日本でも同様」だという。
しかし、こんな見解は通用しない。日本の「氏」と「姓」には精緻な研究がある。その概要は、野口剛氏(帝京大学教授)著『古代貴族社会の結集原理』(平成二十八年、同成社)所収「ウジとカバネが提起する世界」などによれば、古代でも中国と日本には著しい違いがあり、日本でも時期により多様な変化があったのである。
たとえば、吉村武彦氏(明治大学名誉教授)の「ヤマト王権と氏族」(『古代学研究所紀要』二一号、平成十二年、ネット公開)によると、「中国では、共同の祖先から出た男系の血統集団である同族集団を〝宗族〟といい、各宗族を区別する名称が〝姓〟である。・・この姓から分かれ、政治・地域等に起因して成立した血縁集団が〝氏〟と呼ばれる」。
それに対して、「日本列島では、中国と共通するような〝宗族〟は存在しなかった」「日本の氏は・・・あくまで王(大王)との政治的関係で結ばれた集団であり、氏(姓)の改定も王の権限となる」から「自らは氏も姓も保有」しない(必要ない)。従って、「氏姓を(氏族に)賜与し変更することは、天皇固有の権限になった」のである。
すなわち、日本の天皇は、「氏姓秩序を超越した存在」だから、いわゆる男系も女系もなく「皇統に属する皇族」出身であることが、本質的に重要なのである。しかしながら、その天皇から氏姓を賜与される氏族社会では、中国流の父系(男系)継承絶対原理を採り入れて男系中心(男子優先)継承の例を続け、それが庶民社会にも影響を与えた。このような皇統継承と一般相続の根本的な区別を、混同してはならない。                   (令和六年五月十一日記)

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