皇統永続の可能な方策実現に向けて
京都産業大学名誉教授 所 功
皇室構成者の現状と減少の危機
はや師走に入り、本日(一日)「愛子さま」が健やかに誕生日を迎えられた。ついで、この二十三日に、上皇(平成の天皇)陛下は、満九十一歳となられる。先般骨折されながら速やかに回復中と伝えられる上皇后陛下(九十歳)と共に、穏やかな日々を過ごされていることは、まことにありがたい。
また、今上(令和の天皇)陛下(六十四歳)は、ご健康を回復中の皇后陛下(六十一歳)と、今春から日本赤十字社に勤務中の皇女愛子内親王(二十三歳)との支えに安らぎをえられながら、日本国家・国民統合の象徴として重要なお務めに精励しておられる。
さらに、皇嗣の秋篠宮殿下(五十九歳)は、同妃殿下(五十八歳)、および次女の佳子内親王(三十歳)と共に、各々皇族としての公務を分担され、長男悠仁親王(十八歳)は得意な専門研究のできる大学を目指しておられる。
ただ、上皇陛下の弟君常陸宮殿下(八十九歳)は、暫く前から歩行困難のため、同妃殿下(八十四歳)が公務を一身に担っておられる。しかも御子がないので早晩絶家とならざるをえない。また、昭和天皇の弟君三方は、戦前に各々宮家を立てられ、戦後も存続されてきたが、御子のない秩父宮と高松宮の両家は、既に消滅している。
それに対して、三笠宮殿下(平成二十八年百歳で薨去)は、同妃殿下(最近百一歳で薨去)との間に三男子二女子を恵まれた。しかし、二内親王は近衛家と千家に降嫁して皇室を離れられ、また三親王は父君より前に薨去された。そのため、未婚の桂宮は消滅し、残る三笠宮と高円宮の両家も、男子がないため、いずれ絶家となる恐れがある。
一系の皇室には姓も氏も家の名も無い
このような自明の事実を更めて記したのは、○イ皇室の現状を直視して問題点を見出せば、○ロそれを克服しうる的確な方策を立てられるはずだと考えるからである。しかしながら、近年の政府も国会の関係者たちも、○イの認識が不正確なためか、○ロの対策も不十分といわざるをえない。
ご存じのとおり、「皇族の確保」に関して、今年初めから、有識者会議の答申に基づく政府案について、衆参両院議長のもとで、全党・会派の意見集約が行われてきた。しかし、遅々として進まず、これによって積年の課題を解決することは難しいと思われる。その最も大きなネックは、一系の皇統(皇位継承)を、次元の異なる氏・家の「男系」「女系」に準(なぞら)えて、ことさら「男系男子」に拘(こだわ)る論者が少なくないことである。
すでに何度も説明してきたことながら、日本の皇室には、中国や朝鮮のような「姓」も「氏」も「家」の名もない。なぜならば、記紀の伝承に基づく公的な『皇統譜』をみても、「世系第一」の天照大神から数えて「世系第七」の神武天皇(カムヤマトイワレヒコノスラメミコト)を初代とする皇統(皇位継承)は、「万世一系」(万葉一統)で継がれており、途中で他氏・他家と交替したことが全くない。
それゆえに、皇室は一般のように他氏・他家と区別する氏の名も家の名も必要としない唯一の存在であり、その皇威に臣従する古代の有力な貴族などに「姓・氏」名を下賜されてきた格別な立場にある。従って、皇室(皇統)を一般の「氏」や「家」のレベルで論ずること自体、無意味であり見当違いといわざるをえない。
いわゆる男系を優先し女系を公認する
このように格別な立場の皇室(唯一の聖域)では、皇位の継承に本来〝男系〟とか〝女系〟という意識はなかったとみられる。ただ、すでに飛鳥時代以前から、中国で根付いた父系(男系)絶対の風習を見習おうとしていた日本では、男子優先(男尊)の継承が多くなった。それにも拘わらず、六世紀末に、皇女の皇太后を㉝「推古天皇」(東アジア史上最初の女帝)として推戴する柔軟さを保っていた。
そこで、約一世紀後の㊷文武天皇朝(七〇一)に完成した「大宝令」の「継嗣令(けいしりょう)」には、「男帝」を前提として、「およそ皇(天皇)の兄弟と皇子を親王と為よ」と本分で規定しながら、「女帝の子、亦同じ」という原注(本文と同じ効力がある)を加えている。つまり、男帝を優先すると共に、「女帝」を公認し、その「子」の存在も容認していたのである。
そのゆえ、広義の律令時代(飛鳥~江戸時代)に皇位を継承されたのは、大多数が皇族男子(親王か王)であるが、必要に応じて皇族女子(内親王)も数名登場された(しかも二方は二度即位)。そのうち注目すべきは、文武天皇が崩御された時(七〇九)、第一皇子の首(おびと)親王が幼少(七歳)のため、大叔母の㊸元明天皇と伯母の㊹元正天皇(母と娘)が続いて中継ぎ的な役割を果たされ、やがて神亀元年(七二四、今から一三〇〇年前)二十四歳で㊺聖武天皇となられた。
これらを直視すれば、皇位の継承は皇族男子を優先することが慣例となっており、そのような〝男子継承〟が続くうちに〝男系継承〟が原則と認識されるに至ったのであろう。ただ、それは慣習的な原則であって、例外を認めない絶対的な原理ではない。
それにも拘わらず、明治の「皇室典範」以来、皇位継承者を皇族の「男系男子」に限定し、「男系女子」(女帝)すら排除したのは、行き過ぎであろう。まして戦後の現行典範で側室庶子を否定したのだから、皇族男子を確保し続けることは容易でない。
従って、今後とも皇室の永続を願うならば、皇位継承者は、明治以前の伝統を活かして、男系男子を優先すると共に、せめて皇族女子も公認するべきであろう。
そのために、当面の方策として、皇族女子が一般男性と結婚されても皇室に留まられ、その夫も子も皇族として公務を分担できるようにする必要がある。ただ、その子孫に皇位継承の資格を認めるかどうかは、将来の状況により再検討するほかないと思われる。
「該当する皇族」の考えは「皇室会議」から政府に提示
このような皇室の在り方について、中に居られる方々は、「制度(法改正)に関すること」に発言されないことになっている。しかし、昨日公表された秋篠宮殿下の「お誕生日ご会見(要旨)」によれば、「該当する皇族は生身の人間」だから、「宮内庁の然(しか)るべき人たちは、その人たち(皇族)がどういう考えを持っているか、ということを知っておく必要があるのではないか」と控え目に言及されている。
この点については、皇族が個々に意向を表明されたら、宮内庁長官のもとで纏め、それを「皇室会議」の皇族議員(二名)が、皇室内の御意向として皇室会議(議長首相)で公式に表明される。その御意向が提示されたら、政府で慎重に検討して国会に制度の見直し案を諮(はか)り法改正を進めていくような手順をふむことが肝要であろう。
〈追 記〉高森明勅氏の「旧宮家子孫養子皇族化」批判
先般来、私は「皇族の確保」を主目的とする政府案のうち、Ⅰ皇族女子が婚姻後も皇族として皇室に留まりうる案を一応支持し、その欠点を指摘してきた。しかし、Ⅱ旧宮家子孫を養子の形で皇族にする案は、成り立ち難いと見越して殊更に批判しなかった。
それに対して、ⅠもⅡも不適切と厳しく批判し続けてきた代表的は論者は、高森明勅氏(六十七歳)である。同氏は早くから現行の皇位継承規制の「構造的な欠陥」を鋭く指摘しており、最近それを平易に纏めた新著『愛子さま 女性天皇への道』(講談社ビーシー)を出版された。
その一冊を贈られたので、早速通読して認識を新たにしたことが少なくない。私の見解は、平成二十九年(二〇一七)の「皇室典範特例法」が成立し、「高齢天皇」の「生前退位」(正しくは譲位)により、皇位継承の順位が「男系男子」の皇太子殿下から秋篠宮殿下へという方向に決められ、令和に入って「立皇嗣の礼」まで行われた現状を前提とする。それゆえ、内廷の敬宮愛子内親王は確かに優れておられるけれども、立太子・即位は法的に至難と考えている。
ただ、今回の新著により更めて気付かされたことがある。それは高森氏と正反対の代表的な論者の竹田恒泰氏(四十九歳)が、一方で「なぜ皇位は男系で継承されなくてはいけないのか。私は(それが伝統だから)そもそも理由などどうでもよいと思っている」と説明を回避すると共に、他方で〈「皇統に属する」とは「皇統譜に記載がある」という意味と同一で・・・皇族であることと同義語である(から)・・・歴代天皇の男系の男子には、「皇統に属する男系の男子」と「皇統に属さない男系の男子」の二種類があり、皇位継承権を持つ現職(原文のママ)の皇族は前者に(入るが)、・・・私のような旧皇族の子孫などは後者に該当する〉と率直に明言していることである(平成二十五年『伝統と革新』創刊号)。
その観点からいえば、旧皇族(祖父の代まで皇族)の子孫で一般国民として生まれ育った「皇統に属さない」者が、「養子」の形であれ皇室に入り、やがて皇位を継承するようなことになれば、「それは明らかに王朝交替と見るしかありません」、という高森氏の警告は、正鵠を射ており、Ⅱに漠然と賛同する人々にしっかり理解してほしいことである。 (令和六年十二月一日)
(アイキャッチ画像は、宮内庁ホームページより転載)