富士の霊峰を仰ぎ長寿に感謝
京都産業大学名誉教授 所 功
本日(十二月十二日)健やかに満八十三歳の誕生日を迎えた。幼いころ病弱だった私が、岐阜で野育ちするうちに丈夫な体となり、日本人男性の平均寿命(八十一歳余)を越すに至った。まことに有り難いことである。
この一年を振り返ると、国内でも海外でも驚天動地の出来事が続き、行き先への不安は尽きない。それにも拘わらず、多くの日本人が著しい混迷に陥らず落ち着いておれるのは、何故であろうか。
その要因はいろいろ考えられるが、日本には不動の支えが実在し永続すると、心の底で信じているからではなかろうか。それは普段ほとんど意識しないが、折りに触れて憶い起こす。たとえば、内藤鳴雪(なりゆき)は大正七年(一九一八)古稀の寿碑に、
元日や 一系の天子 不二の山
と詠んでいる。「一系の天子」と「不二(富士)の山」は、まさに唯一無二の存在であり、それを仰げば(思い及べば)おのずから心安らぐ。
ただ「万邦無比」と称えられる「一系の天子」は、幸い健在であるが、その第一二六代今上陛下のもとで、皇族として皇室を支える内廷と宮家の方々が、段々と少なくなっている。もし現行の「皇室典範」による過度な制約が続けば、早晩衰滅する恐れも避け難い。
そこで、先般来、国会の衆参議長が政府案に基づいて全与野党・会派の意見調整をはかろうとしてきた。しかし、表面的に合意しながら、重要な部分で共通理解をえられない無様な状態にある。
この一年間、私は政府案の不備を補って半歩でも前進することを切望し、本欄に管見を書いてきた。それに他誌紙の拙稿も加えて、九月初めに冊子『皇族の「確保」急務所見』を自費出版し、政府・国会の関係者と論壇・同学などの知友に進呈した。その反響は残念ながら多くないが、意外なほど深く理解し活用してくださる方も少なくない。
この皇室永続につながる方策の段階的な実現に向けて、来年も微力を尽くしたい。それには心身とも健康でなければならないが、幸い近在の娘家族が姉女房の介護も買物なども快くサポートしてくれる。
その娘に勧められ、先週(六日)小田原から車で約一時間の山中湖へ出かけた。湖畔の展望台から眺めた富士山は、冠雪の頂(いただき)から、なだらかに長い裾野が連なっている。このような高い山頂と広い裾野が一体となり、穏やか安定感を備えているからこそ〝霊峰〟と仰がれるのかもしれない。しばし手を合わせて長寿に感謝した。 (令和六年十二月十二日記)