少年期の大正天皇から御養育掛長
丸尾錦作先生あての御詫状と添書
京都産業大学名誉教授 所 功
大正天皇のご幼少時代に「御湯甥句掛」を務めて丸尾錦作先生の経歴と事績については別稿(『ぎふの教育』二一〇号、三月一日発行)に概述した。その中でご訓育の一例として簡単に言及したことであるが、二月初めの執筆段階では未確認だった資料を、ご遺族が捜し出し撮影してくださった。
その資料というのは、明治二十三年(一八九〇)の七月、満十歳十ヶ月の皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が、乗馬の稽古(遊び)に興じて算数の宿題を忘れて怠られたことに、丸尾御養育掛が厳しくご注意を申し上げたところ、直ちに弁解を毛筆で書いて渡された御詫状と、そのいきさつを説明した丸尾先生の添状である。
この御詫状本文(軸装)は、まだ宮内庁の諒解をえていないので、写真掲載は当分遠慮するほかないが、所蔵者のご遺族から理解を頂けたので、忠実に文字起こしすれば左の通りである。(/印は改行箇所)。
十九日午後三時 馬/稽古シ 四時/ニ帰る
六月十九日/嘉仁/丸尾
これを入れた封筒の表には、右行に「丸尾錦作」、左行の中程に「嘉仁」と書かれている。それに関して丸尾御養育掛が毛筆で記した添書の全文(扉写真)は、左の通りである(/同右、私的に句読点を加える)。
別紙宸翰ハ 皇太子嘉仁親王/殿下御年十歳十ヶ月ニ被為成/候時、學習院御在學中 に賜り/候御書也。其文意ハ、臣、前日御/算術之宿題ヲ呈シ奉(?)リし所、御/ 馬の稽古の御用多くて/宿題を考ふる暇なきとて/御断りの御文意に候(?)也。
明治廿三年七月 學習院教授兼東宮職御用掛 丸尾錦作謹白
念のため、丸尾先生が学習院教授兼東宮職御用掛を拝命したのは、前二十二年十一月であるから、この一件が起きたのは、当二十三年六月十九日以外にありえない。宮内省編『大正天皇実録』(昭和十一年完成)を補う逸話としても、貴重な史料といえよう。 (令和七年二月二十三日)
添付資料「ぎふの教育」3月号 2~3面 丸尾錦作
なお、本年5月6日(火)振替休日の午後2時~4時、岐阜市ハートフルスクエアG大研修室(JR岐阜駅構内2階)にて、現代国民講座「丸尾錦作先生没後百年記念講演会」が開催(主催岐阜県教育懇話会)され、丸尾錦作の事績について講演を行います。詳細は今月中にこのHpで発表します。