元気な後期高齢者の生き甲斐



満七十五歳の誕生日を迎えて
昭和十六年(一九四一)の十二月十二日、あの日米開戦から四日後に閣議で「大東亜戦争」という名称が決定された。その当日、岐阜県揖斐郡の小島村野中という田舎で生まれた私は、今日で満七十五歳、いわゆる後期高齢者の仲間入りをしたことになる。
この七十五年間、いろいろなことに出会ったが、何よりも志の確かな父と芯の強い母のもとに生まれ、まもなく父が召集され戦死してから、その遺言「功をしっかり育てゝくれ」に応えて、母が私を丈夫に育て好きな道に進ませてくれたことに、あらためて感謝したい。
その母(大正五年生まれ)は、九年前に九十一歳の天寿を全うしたが、昭和四十四年(一九六九)結婚した家内の京子と、まるで実の母娘に近い仲となり、気楽な後半生を過ごしてくれ、私も安心して外で働くことができた。
この妻(昭和十一年生まれ)は、五歳上の姉女房であるが、妻・嫁・母の三業に努めながら、平安時代の歴史文学に関する研究を続けて短大と大学に勤め、傘寿記念に今夏私的な文集『ゆづりは』を編み、また新年早々論文集『斎王研究の史的展開』(勉誠出版)も刊行するほど、すこぶる元気でいてくれることは有り難い。
なお、平成二十四年春から娘家族の近くに移り住んでいるが、その夫妻と孫娘から今日午前零時ジャストにLINEで誕生日祝いのメールが届いた。また五十年前、伊勢の青々塾で生活を共にした親友S氏が、毎年この日に必ず祝電か手紙を下さる真心も嬉しい。

これから個人・共同でしたいこと
さて、これからいつまで生きられるか判らないが、幸い今のところ健康に恵まれているので、いろいろやりたい夢がある。その一端を敢えて記し〝有言実行〟に励みたい。
まず個人としては、長らく続けてきた研究の成果を補訂しながら、学術的な論文集を出版できればと念じている。大まかにいえば、日本国家成立史論、宮廷儀式行事史論、皇室制度文化史論などである。また広義の「日本学」に関する文化と教育の評論集なども、できれば作っておきたい。
ただ、それ以前に、平成三十年(二〇一八)三善清行(八四五~九一八)の千百年祭を迎えるので、何とか『三善清行史料集成』(校注)を作る必要がある。また数年前に引き受けたミネルヴァ書房の日本評伝選『源高明』も書かねばならないが、なかなか難しい。
一方、有志と共同で取り組みたいことがある。そのひとつは、四年半前から勤めているモラロジー研究所で、若い研究員と共に「皇室関係資料文庫」を充実させる事業の推進である。まだ十分ではないが、新年元日からWEB「ミカド文庫」で成果を順次公開する。
もうひとつは、四十年近い前に始めた国書逸文研究会の流れを汲む「三代御記逸文」の講読会を今も京都と東京で続けているが、その校注成果を何とか出版したいと考えている。また京都産業大学で始め現在も東京で続けている「後桜町女帝宸記」の解読成果と関係論文も集大成する必要がある。
さらに、今秋京都で開催した宮廷文化展覧会に関連して、来秋は明治神宮の文化館で明治の即位式と大嘗祭を中心にした展覧会、ついで再来年秋には京都の美術館で大正・昭和の大礼を忠心にした展覧会が予定されている。それを多くの協力有志と共に準備し実行しなければならない。
これ以外にも、自分でやりたいこと、また他者から求められてやらなければならないことが少なくない。すでに体力・気力・能力に限界を感じつつあるが、できるだけ前向きに取り組むことが生き甲斐となるにちがいない。
(平成二十八年十二月十二日)

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