今日も猛暑になったが、朝早く小田原を発った。九段の靖国神社には9時半ころ着いたが、すでに神門から社頭まで10列縦隊の参拝者たちが一杯のため、私は脇から拝礼した。
ついで能楽堂前へ行くと、数十羽の白鳩を手にした人々が、徳川康久宮司の合図で一斉に鳩を放った。さらに隣の遊就館では、特別展「ソロモン戦」において父(所久雄)の遺品も展示中のため、急いで立ち寄ったが、身動きできないほどの盛況に驚いた。
続いて10時半から参道特設テントで「英霊に応える会」と日本会議主催の第27回「戦没者追悼中央国民集会」に参列。初めに昭和20年8月15日の玉音放送がテープで流され、その中で「万世の為に太平を開かん」「任重くして道遠し」と仰せられていることに、あらためて感慨を覚えた。ついで中条高徳会長(86歳)から、敗戦直後の実情と祖国再建への決意を承り、こういう戦中派の方々が英霊の遺志を継いで戦後の復興と繁栄を築いてこられたのだと実感した。すぐ前隣の堀江正夫元会長は98歳、小野田寛郎元少佐は91歳ながら、共に矍鑠としておらる。
その集会を中座して、11時半ころ武道館へ移り、政府主催の第51回「全国戦没者追悼式」に臨んだ。そこで靖国神社総代の阿南惟正氏(80歳)と同席し、同家では毎年14日、68年前に自決された阿南惟幾陸軍大臣の慰霊祭を斎行されていると伺った。
まもなく天皇陛下(79歳)皇后陛下(78歳)がお出ましになり、安倍首相の開式の辞に続いて、両陛下が「全国戦没者之霊」の前で、正午の時報を合図に黙祷を捧げられた。それに続く「お言葉」の中で「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表」されたが、遺族の一人としてこれほど有り難いことはない。
ただ、今回の参列遺族4672人のうち、未亡人は僅か16人(兄弟は508人、遺児は3116人)、遺族代表の遠矢みち子さんは92歳、追悼の辞はしっかり読みあげられたが、足もとが覚束ない。全国的に遺族会も戦友会も風前の灯火に近い。
では、これから英霊・戦没者を追悼し語り継ぐのは誰か。それを全日本人の課題として敗戦直後に示唆したのが柳田国男翁著『先祖の話』であり、その提案により始められたのが靖国神社の「みたま祭」(7月14・15・16日)にほかならない。この深刻な問題を私も7月27日、靖国会館で講述しがた、9月15日、大阪護国神社で開催される「英霊顕彰勉強会」でも詳論したいと思っている。
(8月15日記)