「ご譲位」実現の画期的な意義の再確認
(京都産業大学名誉教授) 所 功
この四月三十日で平成の天皇(現上皇)陛下が譲位(退位)されてから満五年になる。その画期的な意義などを再確認しておきたい。
明治以降なぜ〝終身在位〟とされたのか
念のため振り返ると、日本では明治二十二年(一八八九)『皇室典範』により天皇の終身在位が成分化された。それは江戸末期、仁孝天皇が数え四十七歳、孝明天皇が三十六歳で崩御され、また明治天皇の皇太子(大正天皇)が生まれつき病弱であった。その後、何とか即位された大正天皇は、十年目に四十二歳で「摂政」を置き、五年後に崩御された。
従って、昭和二十年(一九四五)敗戦当時、日本人の平均寿命が五十歳余であり、天皇陛下が既に四十四歳であったから、二年後に施行の新皇室典範にも「世襲」の天皇を終身在位と定めたのは、むしろ当然かもしれない。
しかし、それから四十余年後、日本人の平均寿命が男性七十五歳(現在八十一歳)、女性が八十歳(現在八十七歳)を越え、昭和六十三年(一九八八)九月、八十七歳の天皇陛下が癌の進行で倒れられ、百十一日の闘病に苦しみ崩御された。それを間近で見守り「臨時代行」を務められた皇太子殿下の御心中は、察するに余りがある。
平成の天皇は〝高齢譲位〟を実現された
それゆえ、五十六歳で践祚された平成の天皇陛下は、一歳下の皇后陛下と皇太子・同妃両殿下などの協力をえながら「象徴としてのお務め」を積極的に実践して来られたが、平成十五年(二〇〇三)、満七十歳近くで前立腺癌の全摘手術されたころから、健康に不安を覚えられたとみられる。
そこで、陛下は明治以前の歴代天皇に多い「譲位」の実例を、宮内庁書陵部などの協力もえて調べ尽くし、上皇が後継天皇に全てを渡し、文字どおり隠退すれば何ら差し支えない、と確信されるに至った。その上で、平成二十四年(二〇一二)宮内庁の参与会において、ご譲位の意向を強く表明されたことが、後日判明している。
その〝高齢譲位〟が数年後「特例法」を制定施行して実現されたのは、何より陛下ご自身の大局的なご判断と不退転のご決意によるものといえよう。
これは仮に二十数年後の令和三十二年(二〇五〇)で九十歳の今上陛下が、もし高齢譲位を再現したいと発意されるならば、確かな先例として参考にされることであろう。
現在、政府も国会の与野党も「皇族の確保」(減少対策)に不備の多い案で幕引きを急いでいるように見える。それは当面やむをえないが、上皇陛下の叡慮に学んで、今後とも真剣に見直しを重ねてほしい。そんな思いをこめて取材に応じた「産経新聞」の談話記事を添付した。あわせてご覧いただきたい。
(令和六年四月二十八日)
産経新聞記事address https://www.sankei.com/article/20240427-ND25AMZUYBJBVGENX5LQQ2KE7A/