国会与野党の「協議先送り」、切実な反省と真剣な努力
先般来、衆参両院議長のもとで行われてきた全与野党・会派の協議は、国会の閉会により先送りされると報じられた。全く遺憾なことであるが、今後閉会中でも協議を続ける、という議長談話に一縷の望みを繋ぐほかない。
とはいえ、大事な課題は放置し先送りすればするほど解決が難しくなる。その一例として「旧宮家」の相続を直視して実情を略述した。添付の拙文を参照して頂きたい。 (令和6年6月16日記)
皇室構成者の減少対策を先送りするなかれ 京都産業大学名誉教授 所 功
昨晩(六月十四日)のNHKニュースによれば、「安定的な皇位継承の在り方」をめぐる「立法府の総意とりまとめが先送り」になったという。甚だ残念であり遺憾といわざるをえない。
額賀衆議院議長は「今の国会が閉会したあとも協議を続ける意向を示し」た由であるが、これをいつまでも「先送り」していれば、やがて皇室の永続は危うくなろう。
それを他人事(ひとごと)でなく自分事(わがこと)として切実に受けとめ、実行可能な法改正に取りくむ決意と熱意が、関係者にも一般有志にも求められている。
皇位継承の原則を直宮家も旧宮家も踏襲
戦後の新「皇室典範」は、明治以来の旧典範を引き継ぎ、○イ皇位継承者は「皇統に属する男系の男子」に限定し、○ロ天皇も皇族も「養子をすることができない」と禁止し、○ハ皇族女子には一般男性と婚姻したら「皇族の身分を離れる」ことを強制している。
このような制約を原則としたのは、当時いろいろ検討された結果であろう。しかし、運用過程でいろいろ無理を生じ、適応困難になってきた事実を直視する必要がある。
とくに最も重要な○イは、二千年近い皇統史に照らして、可能な限り「男系の男子」を優先すべきだが、さりとて「男系の女子」まで排除したのは行き過ぎだと思われる。長らく容認されていた庶子が新典範で否定されており、一夫一婦で必ず男子を確保し継承することは容易でない。
しかも、典範では継承者を「男系の男子」に限定するのみならず「長系の長子」を優先することが原則とされている。それを分家にあたる直宮家でも同様にされてきたのは、皇室の一体性を保つために当然であったかもしれない。
しかし、たとえば昭和天皇の弟君の秩父宮と高松宮の両家は御子がなく絶家となっている。また三笠宮家は、立派な三男二女に恵まれたが、三親王は父君より先に薨去され、二内親王は民間の名家に入って皇族でなくなり、残る孫世代は全員女王だから、早晩絶家とならざるをえない。
さらに、昭和二十二年(一九四七)十月、皇籍離脱を余儀なくされた十一宮家の人々は、皇族身分でなく一般国民の自由な立場となったにも拘わらず、皇室の方々に倣って、各家の相続は嫡長子系男子を原則としてきた。
そのため「旧十一宮家」といわれるが、既に①東伏見家(当主は戦前薨去、同夫人も戦後他界)、②梨本家、③山階家、④閑院家は早く絶家となった。また令和六年(二〇二四)六月現在、⑤伏見家には、博明氏(92)に三女子があり、⑥北白川家には、道久氏(六年前他界)に三女子があるけれども、養子を迎えて相続されなければ、やはり絶家となろう。
それに対して、⑦久邇家には、邦昭氏(95)に男子があり(邦昭氏の弟もいる)、⑧朝香家には、誠彦氏(80)に男子がある。また⑨東久邇家には、信彦氏(五年前他界)に男子があり(信彦氏の弟もいる)、⑩竹田家では、恒正氏(83)に男子がある(恒正の弟も二人いる)。さらに⑪賀陽家には、長男邦寿氏の他界後、三男章憲氏の長子正憲氏(63)が祭祀を継承している。従って、男子で相続が可能なのは、僅か⑧以下の四家しかない状況にある。
課題を放置し先送りすれば解決は益々困難
宮家皇族の激減は、新典範施行当時から不可避とみられており、それが半年後に現実となった。これを深刻な課題と認識すれば、何とか五年後(昭和二十七年四月)の講和独立を機に、旧宮家の皇籍復帰措置をとるべきであった。当時ならば、各家の方々に皇族として生まれ育った自覚と信望があり、その皇籍復帰を国民の多くも理解し賛同したであろう。
しかし、それを放置して七十年以上も先送りする間に、十一家は半数以下となり、その子や孫の世代で皇室に入ることは、おそらく至難であろう。政府案にいう「養子として皇族になる」ような適任者をえられるかどうか、関係者は具体的に検討すべきであろう。 (令和六年六月十五日記)