(46)小田原で二宮金次郎について学ぶ
定年を機に小田原へ移り住んで三年半。幸い健康に恵まれて、今夏もあちこちへ出かけた。しかし、その疲れがたまっていたせいか、久しぶりに痛風を発症して歩き辛いため、六日(日)は出張を止め休んでいた。 すると、近所に住む婿殿(小[…]
定年を機に小田原へ移り住んで三年半。幸い健康に恵まれて、今夏もあちこちへ出かけた。しかし、その疲れがたまっていたせいか、久しぶりに痛風を発症して歩き辛いため、六日(日)は出張を止め休んでいた。 すると、近所に住む婿殿(小[…]
「ジャングルで遭遇した父の飯盒」(『歴史通』15ーSeptember)より 該当ページを添付資料でご案内します。
本年( 二〇十五) は、大正四年(一九一五)十一月中旬、京都で大礼(即位礼・大嘗祭・大饗儀)が行われてから満百年になる。この大正大礼は、明治二十二年(一八八九)制定の「皇室典範」および同四十二年(一九〇九)公布の「登極令[…]
例年にない猛暑の続く最中、吉田松陰先生ゆかりの地を訪ねることができた。その前後の雑事と共に、あらましを略記しておこう。 熊本の菊池神社に家内と参拝 私は昭和四十四年(一九六九)四月四日、大垣市の濃飛護国神社で結婚式を挙げ[…]
【論文・評論】 1、「皇族数の減少にどう対応するか」(『月刊朝礼』7月号、7月1日) 2、「橋本富太郎研究員の博士論文合格の意義」(『道徳科学研究センターニューズレター』5号、7月1日) 3、「なぜ人は着る物で「よそおう[…]
「地理」を重んじた吉田松陰 吉田松陰という人は、本来的な意味での〝 実学者 〟だったと思われる。決して机上の観念的空想論者ではなく、実地に赴き現物を確かめ、その実感に基づく現実的な計画を立て、その実現に向けて具体的な努力[…]
今年は、大正四年(一九一五)十一月に京都で大礼(即位礼・大嘗祭・大饗儀)が行われてから満百年になる。 この大礼は、明治二十二年(一八八九)制定の「皇室典範」および同四十二年(一九〇九)公布の「登極令」に基づき、初めて実施[…]
御前会議における停戦の御聖断 最近(八月一日)、宮内庁から七十年前の貴重な資料を公開予定と伝えられる。その一つは昭和二十年八月の十日と十四日、戦中最後の御前会議が行われた皇居吹上御苑「御文庫」(防空壕)付属室の映像資料([…]
【論文・評論】 ※ (5月補遺)「宮中の祭祀に重要な雅楽」、CBC特別企画、『宮中式部職楽部特別公演 -東遊と管弦-』冊子、5月17日 1、「吉田松陰と美浪垂井出年の長原武」(「ぎふの教育」6月号、6月1日) 2、「“山[…]
「地理」を重んじた吉田松陰 吉田松陰という人は、本来的な意味での〝 実学者 〟だったと思われる。決して机上の観念的空想論者ではなく、実地に赴き現物を確かめ、その実感に基づく現実的な計画を立て、その実現に向けて具体的な努力[…]