(48)上賀茂神社の式年遷宮と靖国神社の例大祭

十月の中旬も、幸い元気に充実した日々を過ごすことができたことに、感謝したい。 まず十一日(土)は、郷里の岐阜県揖斐川町谷汲で開催された全国育樹祭にお出ましの皇太子殿下奉迎のため帰省予定であったが、後述(十五日)の準備に前[…]

(47)岐阜谷汲育樹祭奉祝・皇太子殿下行啓奉迎に向けて

(47)岐阜谷汲育樹祭奉祝・皇太子殿下行啓奉迎に向けて

今年の第三十九回全国育樹祭は、十月十一日(日曜日)に岐阜県の揖斐川町谷汲で開催される。それに先立って、地元有志の集いが幸い盛大に行われたので、その前後の経緯を感想も含め略記しておこう。 岐阜県谷汲は「全国育樹祭」発祥の地[…]

(46)小田原で二宮金次郎について学ぶ

(46)小田原で二宮金次郎について学ぶ

定年を機に小田原へ移り住んで三年半。幸い健康に恵まれて、今夏もあちこちへ出かけた。しかし、その疲れがたまっていたせいか、久しぶりに痛風を発症して歩き辛いため、六日(日)は出張を止め休んでいた。 すると、近所に住む婿殿(小[…]

(45)松陰先生ゆかりの熊本・萩と正松神社を訪ねて

(45)松陰先生ゆかりの熊本・萩と正松神社を訪ねて

例年にない猛暑の続く最中、吉田松陰先生ゆかりの地を訪ねることができた。その前後の雑事と共に、あらましを略記しておこう。 熊本の菊池神社に家内と参拝 私は昭和四十四年(一九六九)四月四日、大垣市の濃飛護国神社で結婚式を挙げ[…]

(44)吉田松陰と熊本志士の宮部鼎蔵たち

(44)吉田松陰と熊本志士の宮部鼎蔵たち

「地理」を重んじた吉田松陰 吉田松陰という人は、本来的な意味での〝 実学者 〟だったと思われる。決して机上の観念的空想論者ではなく、実地に赴き現物を確かめ、その実感に基づく現実的な計画を立て、その実現に向けて具体的な努力[…]

(42)「大正(京都)大礼百年記念展覧会」に向けて

(42)「大正(京都)大礼百年記念展覧会」に向けて

今年は、大正四年(一九一五)十一月に京都で大礼(即位礼・大嘗祭・大饗儀)が行われてから満百年になる。 この大礼は、明治二十二年(一八八九)制定の「皇室典範」および同四十二年(一九〇九)公布の「登極令」に基づき、初めて実施[…]

(41)昭和二十年八月の御聖断と玉音放送

(41)昭和二十年八月の御聖断と玉音放送

御前会議における停戦の御聖断 最近(八月一日)、宮内庁から七十年前の貴重な資料を公開予定と伝えられる。その一つは昭和二十年八月の十日と十四日、戦中最後の御前会議が行われた皇居吹上御苑「御文庫」(防空壕)付属室の映像資料([…]

(40)吉田松陰と熊本志士の宮部鼎蔵たち

(40)吉田松陰と熊本志士の宮部鼎蔵たち

「地理」を重んじた吉田松陰 吉田松陰という人は、本来的な意味での〝 実学者 〟だったと思われる。決して机上の観念的空想論者ではなく、実地に赴き現物を確かめ、その実感に基づく現実的な計画を立て、その実現に向けて具体的な努力[…]

(39)両陛下「おことば」の御真意を推し測る

(39)両陛下「おことば」の御真意を推し測る

『新潮45』の平山周吉論文の要点 前回「日本学広場」(38)で「東宮御教育常時参与の小泉信三博士に学ぶ」を書いたのは、『新潮45』七月号の掲載論文に触発されたからにほかならない。 それは、平山周吉(ペンネームか)という慶[…]

(38)東宮御教育常時参与の小泉信三博士に学ぶ

(38)東宮御教育常時参与の小泉信三博士に学ぶ

小泉信三博士が満七十八歳で他界されてから半世紀近くになる。私は生前お目にかかる機会をえなかったが、忘れ難い思い出がある。 昭和三十年の靖國神社参拝 それは昭和三十年(一九五五)夏休みに遡る。当時中学二年生(十三歳)の私ど[…]